古代の歴史

ツァラトゥストラ、火の預言者――最初の一神教を生んだ古代イランの神秘

ツァラトゥストラ、火の預言者――最初の一神教を生んだ古代イランの神秘

ツァラトゥストラと同一視される人物。ラファエロ『アテナイの学堂』(1509年)の細部。ヴァチカン蔵・WIKIMEDIA COMMONS

耳を引く響きを持つ言葉がある。ツァラトゥストラはその一つだ。その眩い響きに、人は魅了される。ヨーロッパではゾロアスター、イランではザルドシュトと呼ばれるこの人物は、時代を超えて人々の心をつかんでやまない。

18世紀フランスの知識人たちは、ジャン・シャルダン(1643-1713)やジャン=バティスト・タヴェルニエ(1605-1689)といった大旅行家の記録を通じて彼を発見し、理神論の旗手とみなした。19世紀にはニーチェが、彼を予言者であり綱渡りの哲学者として描いた。そして自らを見失いつつある21世紀の今日、最初の一神教の創始者は、私たちの実存的な問いに答える現代性をもって再び姿を現している。その生涯とメッセージは、数千年の歴史を誇る文明の十字路、イランという魅惑的な世界へと私たちを誘う刺激に満ちている。

謎に包まれた祭司

彼はいつの時代の人だったのか。答えは『ガーサー』にある。これはゾロアスター教徒の聖典『アヴェスター』最古の部分で、ツァラトゥストラ自身が古アヴェスター語で書いたものだ。5つの『ガーサー』に分かれた17の讃歌から成り、至高神アフラ・マズダーへの賛美を歌うこれらの聖歌は、紀元前2千年紀のインドのヴェーダ文献(『リグ・ヴェーダ』)と言語的に近縁である。このことから、『ガーサー』の成立は紀元前1200年から900年の間、さらには紀元前1700年にまで遡るとする説もある。

つまり、名前が「駱駝の主」あるいは「黄金の星」を意味するとされるツァラトゥストラは、長く信じられてきたように孔子、老子、ブッダ、ピュタゴラス、ソクラテスらが輝いた紀元前7~5世紀の宗教的ルネサンスの担い手ではなく、それよりはるかに早い時代の人だった可能性が高い。この二重に重要な年代設定は、彼を太古へと位置づけると同時に、ヘブライ人とともに、三千年前に一神教への呼びかけを共有していたことを示唆しているのだ。

伝説によれば、ツァラトゥストラは産声を上げた瞬間に笑ったという。

ゾロアスター教の文献によれば、ツァラトゥストラはバクトリア(現在のアフガニスタン北部)に住む「ザオータル」と呼ばれる祭司だった。プールシャスパとドグドーヴァーの息子として生まれ、フヴォーヴィとの結婚から三人の息子と三人の娘をもうけた。当時の多神教的なマズダー教に批判的だった彼は、聖火(アタル)を前にして幸福への道を開く原理について瞑想し、10年間の孤独な隠棲の後、アフラ・マズダーから直接啓示を受けた『ガーサー』を書き上げた。

彼が提唱したのは、人が自由に選択できる一神教への改革だった。政治組織は大きく揺さぶられ、宗教の個人对する支配権威に疑義が呈された。支配階級に拒絶されたツァラトゥストラは、バクトリアの王ウィシュタースパのもとに亡命し、王の保護を受けてその改革を民と周辺諸族に広めることができた。

こうした希少な「歴史的」要素に加え、古代ギリシア人や、13世紀にインドのパールシー人の間で書かれたペルシア語の文献『ザラートシュト・ナーマ』などによって育まれた伝説も、いくつかの逸話を付け加えている。それによれば、ツァラトゥストラは高貴な身分の出で、産声を上げた瞬間に笑ったという。魔力を恐れたマズダー教の祭司たちは六度も彼の殺害を試みた。その後も伝統への批判が彼への敵意を募らせていった。30歳のとき、争いに疲れた彼は故郷を去り、その途上で「奇跡」が起こった――増水した川の水面を歩き、輝かしい神の光をまとって川から現れたのである。

幸福への王道

七度にわたる対話の中で、アフラ・マズダーは彼に真の幸福へと導く真理を明かした。選ばれし者は10年をかけて説法を磨き上げた。王や祭司たちに拒まれた彼は、ウィシュタースパ王のもとに庇護を求め、そこでも新たな奇跡と抵抗が続いた。やがてアフラ・マズダーの勝利が訪れる。ツァラトゥストラは善の勢力が永遠に勝利する「刷新(レノヴェーション)」の福音を説くことができたのだ。彼自身は77歳で火の神殿において暗殺されたが、伝説が歴史を飾り立てたとしても、啓示の核心は変わらなかった。それはゾロアスター的一神教の宣言、すなわち幸福への王道の宣告なのである。

ツァラトゥストラの改革以前、イランではマズダー教が支配的だった。中心神でありながら唯一神ではない「英智の主」アフラ・マズダーのほかに、三大神格「アフラ」が崇拝されていた。契約と誓約の神ミトラ、天空神ウァルナ、戦争の神インドラである。とりわけミトラ信仰では、動物が生贄に捧げられ、信者たちは祭祀の際に、麻黄(エフェドラ)を基にした幻覚性の飲み物ハオマを摂取したらしい。これらの有力な神々のほかにも、収穫や婚姻の豊穣を司る小神々が存在した。そして火(アタル)は、腐敗しない純粋さの象徴として崇められていた。

しかしツァラトゥストラは、この体系は疲弊しきっており、マズダー教の祭司たちが人々から自由意志を奪い、神々の下に従属させていると考えた。伝統の一部には依拠しつつも、彼は改革を呼びかけた。精神に危険だとみなしたハオマの禁止、共同体全体を貧しくさせる牛の生贄の廃止である。何よりも彼は、アフラ・マズダーのみを崇拝することを説き、古い神々を退けた――ただし彼らに結びつけられた概念や抽象観念は残した。

古代のマズダー教を改革するにあたり、ツァラトゥストラは火(神アフラ・マズダーの象徴)を第一原理かつ崇拝の対象とした。

第一原理であり、その象徴たる火のように全知で光輝に満ちたアフラ・マズダーは、互いに結びついて世界の進化に関与する属性を持つ。その中には「アメシャ・スペンタ(前進する不死の力)」と呼ばれるものがある。アシャ(神聖なる秩序)、ヴォフ・マナー(善き思考)、クシャスラ(自己制御)、アーラマティ(静寂)、サルワタート(完全への進化)、アムルタ(不死)である。彼はまた六柱の大天使にも補佐されている。その目的において能動的な役割を果たすよう召された人間は、これらの高次のエネルギーに支えられて、善き思考、善き言葉、善き行為へと到達する。一方その周囲では、生命の勢力(善・英知・光)と非生命の勢力(悪・蒙昧・闇)が絶え間ない闘争を繰り広げている。

この二者択一の間で自由に選べること――これこそ画期的な革新だった――を得た人間は、その結果を引き受けねばならない。死後、正しき者もそうでない者も「選別の橋」で試され、徳ある者は天国「歌の家」へ、そうでない者は煉獄で苦しむ。やがて火の審判、すなわちすべての魂を和解させ、善による世界の再生と神の王国の到来へと導く終末(アポカリプス)が訪れるだろう。

極めて現代的な反響

ファラワハル(守護天使、魂、霊が一体となった象徴)によって表されるゾロアスター的一神教は、幸福と献身と寛容の宗教、自然を大切にする宗教として自らを提示する。社会的・精神的革命をもたらしながら、時を超えて多くのイラン人の心を掴み、西暦273年、いくつかの修正を経てサーサーン朝の国教となった。

人的破壊にもかかわらず、流れる歳月は、アンリ・コルバンの言う「地下の連続性」を消し去ることはなかった。それによってゾロアスター思想はイランで生き延びただけでなく、ヨーロッパでも知られるようになったのである。『アヴェスター』が入手困難だったため、ユダヤ=キリスト教圏のヨーロッパでは、ツァラトゥストラをめぐる噂が長く好奇心をかき立ててきた。17世紀末以降、欧州の旅行者たちが、遥かなるペルシアにおける「ゲーブル(ゾロアスター教徒)」の奇妙な儀式に言及して、そのベールを部分的に持ち上げた。1700年頃から学者たちが熱狂し、ラムセー騎士に倣ったばかりのフリーメイソンリーは、1727年から独自の理念の指針をそこに求めた。流行の中でツァラトゥストラは、おそらくキリスト教に影響を与えた相手でもあったが、キリスト教に対峙する理神論の歌い手となった。オペラも彼を讃えた。まず1749年にラモーが悲劇『ゾロアストル』を、続いて1791年にはモーツァルトが『魔笛』である。その間の1757年、ボンベイ(ムンバイ)のパールシー人の間で『アヴェスター』の写本が発見され、アブラアム・アンケット=デュペロンによって翻訳された。19世紀半ばに『ガーサー』が『アヴェスター』の他の部分から切り離されて研究されるようになると、この祭司にして預言者の人物の一神教的神学と二元論的な倫理がふたたび響き渡ることになった。

今日、イランではゾロアスター教は当局から黙認こそすれ奨励こそされないものの多くの改宗者を登録しており、ヨーロッパではますます関心を集めている。人間が自らの選択に対して責任を負うという考え方は、自由な人間の献身を促す現代思想と確かに共鳴している。さらに、保存すべき自然への絶えざる言及は、日ごとに高まる私たちの環境問題への意識を抱きしめているのだ。

さらに知るために
『イランの偉大な人物たち』 イヴ・ボマティ、H・ナハヴァンディ著、ペラン社、2015年
『ツァラトゥシュトラ』 ジャン・ヴァレンヌ著、ポワン社、2006年

年表

紀元前1700-1200年
ツァラトゥストラに帰せられる讃歌『ガーサー』の成立とみられる時期。したがって彼は従来考えられていた紀元前6~5世紀の人物ではない可能性が高い。

紀元前559年
キュロス大王がアケメネス朝ペルシアを統治。彼とその後継者たちは、ツァラトゥストラの神アフラ・マズダーを礼拝した。

紀元前330年
アレクサンドロス大王がアケメネス朝帝国を征服。勢力を拡大していたゾロアスター教は、新しい王たちの時代にも存続する。

西暦273年
サーサーン朝のバハラーム1世のもとでゾロアスター教が国教となる。他宗派の信者は迫害される。

西暦275年
マニ教の創始者マニが、高位祭司カルティールによる異端の罪で処刑される。

西暦7世紀
アラブ人がサーサーン朝帝国を征服し、ゾロアスター教徒を迫害。教団は中国方面へまで広がる。

西暦10世紀
反乱と弾圧を逃れて、一部のゾロアスター教徒の共同体がインドに移住。後にムンバイを中心として定着する。

火を囲む祈り

火がゾロアスター教寺院で果たす中心的役割ゆえに、この宗教の信者は俗に「拝火教徒」と呼ばれてきた。しかしそのため、イスラム教優位の地域のゾロアスター教共同体が直面した深刻な問題の一つが、偶像崇拝の嫌疑だったことは否めない。

実際には、ゾロアスター教の宗教的実践において火は光の象徴であり、この宗教の本質的な諸原理を表している。無知の闇を払う光、正義と儀礼秩序の象徴的表象、創造の宇宙火、そして完全な秩序を回復するために万物の創造に終止符を打つ破壊の火――それらすべてである。

したがって、炎を前に立って祈りを唱えることは、神の創造の本性を観想する一つの方法なのである。今日では三つの等級の火があり、それぞれ重要性の異なる三種類の神殿を生んでいる。最高位の火を祀る神殿にはダストゥール(大神官)が仕えなければならないが、最低位のものは奉献されておらず、平信徒が管理できる。

今日のゾロアスター教

今日、ゾロアスター教徒は地理的位置に応じて三つの主要グループに分かれている。イラン、インド、ディアスポラである。イランはこの宗教の本来の故地だが、651年のアラブによる征服以来の国家のイスラム化に加えて、ゾロアスター教共同体への抑圧と差別により、イラン西部沿岸への移住が起きた。より寛容な土地はインドだった。ここに多くのゾロアスター教徒が落ち着き、ペルシア出身であることに由来して「パールシー」の名で呼ばれることになった。彼らは都市共同体を作り、イギリス統治下で繁栄した。しかし布教禁止と他宗教信者との通婚禁止により、共同体の構成人員は急激に減少していった。

現在、信者は約7万人と推計され、これにディアスポラの約7万人が加わる。パールシーたちはインドの金融首都ムンバイの経済繁栄の基盤を担い、慈善活動で知られる教養ある西洋化された階層を形成している。イランでは、1979年のイスラム革命後、約3万人のゾロアスター教徒の状況は政治的観点からは安定している。