古代の歴史

ヘイスティングズの戦いでウィリアム軍は何人の射手を率いていたのか?

1066年10月14日にイングランドで行われたヘイスティングズの戦いにおいて、後の「征服王」と呼ばれることになるノルマンディー公ウィリアムは、およそ1,500人前後(一説には2,000人近く)の射手を率いていたと考えられています。射手たちはノルマン軍の重要な戦力であり、戦いの帰趨を左右する大きな役割を果たしました。

ノルマン軍の編成

ヘイスティングズに臨んだウィリアム軍の総兵力は、約7,000〜10,000人と推定されています。その内訳は大きく分けて次の3つです。

  • 騎兵部隊:約2,000〜3,000人。重装備の騎士たちで構成され、決定打となる突撃を担当しました。
  • 歩兵部隊:約4,000人前後。槍や剣で武装し、敵の防御線に正面から対峙しました。
  • 射手(弓兵)部隊:約1,500〜2,000人。戦闘序盤からの一斉射撃で敵陣をかく乱しました。

射手たちが果たした役割

戦いは午前中、射手部隊による一斉射撃から始まったと伝えられています。サンラック丘陵の斜面に陣取るアングロ・サクソン軍の「盾の壁」は極めて堅固で、正面突破は容易ではありませんでした。そこで射手たちは繰り返し矢を放ち、敵の防具を破壊して体力を削ぎ、歩兵や騎兵の攻撃につなげる支援を行いました。

上空への曲射という戦術転換

戦闘が長引くと、水平射ちでは盾に阻まれて効果が薄いため、ノルマンの射手たちは矢を空高く打ち上げて頭上から降らせる「曲射」へと切り替えたといわれています。この変更により、盾の後ろに隠れた兵士たちにも被害が及ぶようになりました。伝承によれば、アングロ・サクソン側の指揮官ハロルド・ゴドウィンソンもこの時期に目を矢で射抜かれたとされ、これがイングランド軍の崩壊につながったとされます(ただし、この逸話の真偽については今なお議論があります)。

バイユー・タペストリーが残す証拠

当時の様子を伝える「バイユー・タペストリー」には、兜を着けたノルマンの射手たちが弓を引き絞る姿が鮮明に描かれており、ウィリアム軍が大規模な弓兵部隊を運用していたことを裏付ける確かな史料となっています。一方、対するハロルド軍の兵士のほとんどは歩兵であり、弓を装備した者の姿はほとんど見られません。

まとめ

ヘイスティングズの戦いでウィリアムが率いた射手の数は、諸説あるものの約1,500〜2,000人が有力視されています。彼らの射撃だけでは勝利は決まりませんでしたが、堅牢な盾の壁を弱体化させ、騎兵の突撃や偽退却戦術と連携することで、ノルマン軍の勝利に大きく貢献しました。射手・歩兵・騎兵を組み合わせたこの複合戦術こそ、11世紀におけるノルマン軍事力の強さを象徴するものだったのです。