古代エジプトには、約3000年に及ぶ長い歴史の中で、その実像を示す資料がごくわずかしか残っていない王たちが存在します。彼らの名前は、一基の石碑や、像の小さな断片といった限られた遺物によってのみ、今日に伝えられています。
とりわけ第13王朝(紀元前1800年頃~紀元前1650年頃)の時代は、中央権力の弱体化と相次ぐ王位継承により政治が不安定だったため、大規模な建造物や詳細な記録がほとんど残されませんでした。その結果、多くの王については、名前や在位のごく一部しか分かっていないのが実情です。
わずかな遺物でしか知られていない王たち
第13王朝の王たち
クヌム・ホテプ2世(Khnum-Hotep II)
アビドスで発見された一基の石碑によってのみ知られています。
セケムラー・フタウィ・ソベクホテプ(Sekhemre Khutawy Sobekhotep)
エル・リシュトで見つかった数点の像の破片によってのみ知られています。
アメンエムハト4世(Amenemhat IV)
タニスで出土した一基の石碑によってのみ知られています。
ソベクホテプ4世(Sobekhotep IV)
カルナクで発見された数点の像の破片によってのみ知られています。
ネフェルホテプ3世(Neferhotep III)
タニスで見つかった一躯の像によってのみ知られています。
シハートホル(Sihathor)
カルナクで出土した一基の石碑によってのみ知られています。
ケンジェル(Khendjer)
アビドスで発見された一基の石碑によってのみ知られています。
イムイレメシャウ(Imyremeshaw)
タニスで見つかった数点の像の破片によってのみ知られています。
新王国・後期時代の王たち
セト・メルエンプタハ(Seth Merenptah)
第19王朝の王で、メンフィスで発見された一躯の像によってのみ知られています。
アフモセ2世(Ahmose II)
第26王朝の王で、サッカラで出土した一躯の像によってのみ知られています。
なぜこれほど資料が少ないのか?
第13王朝の時代には、一人の王の在位期間が数年に満たないことも珍しくなく、王が大きな業績や記念建造物を残す余裕がほとんどありませんでした。加えて、続く第二中間期には異民族ヒクソスによる支配などの混乱が続き、既存の記録が失われてしまったとも考えられています。
また、これらの王の王名や王朝の帰属については、研究者の間でも解釈が分かれる部分があります。今後の発掘調査で新たな資料が見つかれば、こうした“幻の王”たちの姿が、より鮮明になっていくかもしれません。