ナチス最初の常設強制収容所、ダッハウの指揮官たち
ダッハウ強制収容所(KL Dachau)は、1933年3月22日にミュンヘン近郊のダッハウ町に開設された、ナチス・ドイツ最初の常設強制収容所です。当初は政治犯が主な収容対象でしたが、その後12年の間にヨーロッパ各地からユダヤ人、聖職者、戦争捕虜など20万人以上の人々が送り込まれ、1945年4月29日の米軍による解放まで、ナチスの抑圧体制を象徴する存在であり続けました。
ここでは、開所から終戦までの間にダッハウの指揮官(所長)を務めた人物を、在任期間とともに時系列で紹介します。
歴代指揮官一覧
- ハインリヒ・ヒムラー(1933年3月〜1933年4月):親衛隊(SS)の最高指導者であり、収容所創設の中心人物。開所初期には自ら指揮を執りました。
- ヒルマル・ヴェッカーレ(1933年4月〜1933年6月26日):初代の専任指揮官として収容所の運営を担当しました。
- テオドール・アイケ(1933年6月26日〜1934年7月4日):厳格な管理・懲罰規定を導入してダッハウを「モデル収容所」とし、後に全強制収容所の監察官に就任。彼の体制は他の収容所にも波及しました。
- ハンス・ローリッツ(1934年7月4日〜1936年8月)
- アレクサンダー・ピオルコフスキー(1936年8月〜1938年3月)
- ハインリヒ・ドイベル(1938年3月〜1942年4月)
- マルティン・ヴァイス(1942年4月〜1943年11月)
- エドゥアルト・ヴァイター(1943年11月〜1945年4月):戦局悪化の中で最後期の運営を担いました。
- ハインリヒ・ウィッカー(1945年4月29日〜1945年5月8日):本収容所の最後の指揮官として、解放の時期に当たりました。
- ヨハン・アイヒェルスデルファー(1945年4月28日〜1945年5月8日):終戦時点で指揮官職にあった人物の一人で、外部の副収容所カウファリング第4収容所の指揮も担っていました。
解放と戦後の裁判
1945年4月29日、米軍がダッハウに到達し収容所を解放しました。敗戦後、多くの元指揮官や看守たちは連合国によって裁かれることになります。アイケはすでに1943年に東部戦線で戦死していましたが、ローリッツは拘置中に自殺し、ヴァイターも終戦直後に自ら命を絶ちました。ヴァイスは裁判を待つ間に病死し、ピオルコフスキーは死刑判決を受けて処刑されています。
ダッハウの指揮官たちの経歴は、一人の人物の判断が数万人の命を左右しうる極限の組織で何が起きていたかを示す、歴史の重要な証言となっています。