古代の歴史

アステカの首都テノチティトランに住んでいたのは誰?メシカ人の歴史と都市の成り立ち

アステカの首都に住んでいたのは誰?

アステカの首都であったテノチティトラン(Tenochtitlan)に住んでいたのは、アステカ人、すなわち「メシカ人(Mexica)」と呼ばれる民族でした。「アステカ」という名称は後世の歴史家によって広められた呼び方であり、彼ら自身は自らをメシカ人と称していました。

メシカ人の起源と移住

メシカ人は、ナワトル語(Nahuatl)を話す民族でした。彼らは北方にある伝説の地「アストラン(Aztlan)」から出発し、13世紀に中央メキシコのメキシコ盆地(Valley of Mexico)へと移住してきたと伝えられています。アストランは実在が確定していない神話上の場所ですが、この移住の物語はアステカ人のアイデンティティの核となっていました。

テノチティトランの建設

1325年、メシカ人はテスココ湖(Lake Texcoco)の中央に浮かぶ島にテノチティトランを建設しました。伝説によれば、彼らは湖の中洲に鷲がサボテンの上にとまり、蛇をくわえている光景を目撃し、それを都市建設の地と定めたといわれています。この図像は現在のメキシコ国旗にも描かれています。

湖上の大都市へと発展

テノチティトランは当初こそ小さな集落でしたが、やがて驚異的な速度で発展します。湖面に浮かぶ耕作地「チナンパ(chinampa)」と呼ばれる浮き畑による農業、本土と結ぶ複数の堤道、高度な水道システムなどにより、16世紀初頭には人口20万人から30万人に達する、当時世界最大級の都市へと成長しました。

こうしてテノチティトランはアステカ帝国の政治・宗教・経済の中心地として栄えましたが、1519年のスペイン人征服者エルナン・コルテスの到来により運命が大きく変わることになります。