1529年は、プロテスタント宗教改革の歴史において決定的な意味を持つ一年でした。帝国議会での「抗議」をきっかけに「プロテスタント」という言葉が生まれ、神学論争や政治的動向が重なり、宗教改革は新たな段階へと進んでいきました。ここでは、この年に起こった主要な出来事を順に見ていきます。
1. 3月:第一回シュパイヤー帝国議会
神聖ローマ帝国の帝国議会がドイツのシュパイヤーで開かれました。この議会では、カトリック多数派がヴォルムス勅令(1521年)を支持する決議を採択し、ルター派思想の広まりを非難しました。これにより、改革派諸侯と都市は大きな圧力を受けることになります。
2. 4月19日:シュパイヤー抗議(Protestation)
第一回シュパイヤー帝国議会の決議に対し、ルター派の諸侯および帝国都市は正式な抗議文書を提出し、信仰を実践する自由を求めました。この「抗議(プロテスタンテーション)」こそが、「プロテスタント(Protestant)」という呼称の由来です。反ローマ教皇の立場を明確にした歴史的な瞬間でした。
3. 10月:マールブルク会談
マールブルクにおいて、マルティン・ルターとウルリヒ・ツヴィングリが直接対話する神学会談が開催されました。両者は聖餐(主の晩餐)をめぐる解釈の相違について合意を目指しましたが、キリストの現存に関する見解の違いから最終的な一致には至りませんでした。それでも多くの論点で合意に達したことは、後の改革派運動の連携への足がかりとなりました。
4. 11月:ニュルンベルク和約
神聖ローマ帝国内のカトリック諸身分とプロテスタント諸身分の間で合意が成立しました。これは宗教対立への一時的な緩和策であり、総会議(汎教会会議)が開かれて宗教上の相違が解決されるまでの間、ルター派領邦がルター派信仰を保持することを認めるものでした。
5. マールブルク大学の創設と役割
ヘッセン方伯フィリップ(寛大公)によって創設されたマールブルク大学は、世界初のプロテスタント系大学として、プロテスタント教育と神学の中心地となりました。同大学はルター派ひいては宗教改革思想の普及に重要な役割を果たし、1529年のマールブルク会談の舞台ともなりました。
6. 急進的宗教改革の台頭
1529年には、アンドレアス・カールシュタットやメルヒオール・ホフマンらに率いられた宗教改革の急進派も勢力を強めました。彼らはルターの教えをさらに踏み越え、すべての信者の平等を強調し、伝統的な教会組織そのものを批判する思想を広めました。
7. 再洗礼派への迫害の激化
幼児洗礼を拒否し、個人的な信仰に基づく成人洗礼を主張した急進派グループ、再洗礼派は、ますます厳しい迫害に直面しました。フェリックス・マンツら著名な指導者はすでに処刑されており、同年の帝国議会も再洗礼を禁じる方針を強化するなど、弾圧は一層過酷さを増していきました。
8. イングランドにおけるヘンリー8世の宗教改革
イングランド王ヘンリー8世は、ローマ・カトリック教会からの離脱に向けた一歩を踏み出しました。王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの婚姻無効を求めて動き出し、プロテスタント諸侯との接近を図ります。この動きはやがてイングランド宗教改革へと発展し、イングランド国教会の成立につながっていきました。
まとめ
1529年の出来事は、プロテスタント宗教改革の進展における重大な転換点でした。「プロテスタント」という名称の誕生、カトリック教会からの分断の固定化、宗教的緊張の高まり、そしてプロテスタント運動内部における多様な神学的立場の出現——これらすべてが、ヨーロッパの宗教地図を根本的に塗り替える礎となったのです。