結論:アレクサンダー自身はペルシャの支配を維持できなかった
意外に思われるかもしれませんが、アレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)は、ペルシャにおける権力を最終的に維持することはできませんでした。彼は東方遠征によってアケメネス朝ペルシャを滅ぼし、広大な領土を征服しましたが、その支配体制は本人の死とともに崩壊してしまうのです。
紀元前323年、若すぎる死と帝国の分裂
紀元前323年、アレクサンダーはわずか32歳という若さでバビロンにて急逝しました。当時、彼の帝国はギリシャからインダス川流域にまで及ぶ巨大なものでしたが、明確な後継者を残さないまま亡くなったため、帝国の行方は定まりません。
その結果、帝国は配下の将軍たち――いわゆる「ディアドコイ(後継者たち)」――によって分割されることになります。彼らの間では長年にわたり熾烈な「後継者戦争」が繰り広げられました。
ペルシャを引き継いだのはセレウコス1世
かつてペルシャの中核だった地域は、将軍の一人であるセレウコス1世ニカトルの手中に収まりました。彼はシリアを中心としてセレウコス朝を建国し、ペルシャからメソポタミア一帯を統治する強大なヘレニズム国家を築き上げます。
なお、同時期にはプトレマイオスがエジプトにプトレマイオス朝を、アンティゴノスらが小アジアやマケドニア方面の勢力を確立するなど、アレクサンダーの帝国は複数の王朝へと再編されていきました。
まとめ
アレクサンダーはペルシャを征服したものの、その支配を自らの手で安定させることはありませんでした。彼の死後、帝国は将軍たちによって分割され、ペルシャ地域はセレウコス1世が興したセレウコス朝へと受け継がれたのです。