古代の歴史

カロリング朝を設立したのは誰?建国の経緯と歴史的背景を解説

カロリング朝を設立したのは、小ピピン(ピピン3世)です。彼はフランク王国の宮宰(宮廷長官)を務めたカール・マルテルの息子であり、751年、メロヴィング朝に代わる新しい王朝を打ち立てました。

小ピピンとはどのような人物か

小ピピンは、741年に父カール・マルテルが死去すると、弟カルロマンとともに宮宰の地位を継承しました。当時のフランク王国では、メロヴィング朝の王は「怠惰王」と呼ばれるほど実権を持たず、実際の政治を動かしていたのは宮宰でした。小ピピンはこの実権を背景に、王位そのものへの野心を抱くようになります。

メロヴィング朝からカロリング朝へ

751年、小ピピンはローマ教皇ザカリアスの承認を得て、最後のメロヴィング朝王キルデリク3世を退位させ、自らフランク人の王として即位しました。これは単なる簒奪ではなく、「神に選ばれた者が統治すべき」という理念のもと、教会の権威によって正当化された政権交代であった点が大きな特徴です。

教皇との関係と王朝の正統性

754年には、教皇ステファヌス2世がアルプスを越えてフランクへ赴き、小ピピンを再び塗油により王として聖別しました。この密接な教皇との関係は、のちに「ピピンの寄進」として知られる領土提供へとつながり、中世における教皇権と王権の関係を形作る重要な転機となりました。

カロリング朝のその後

小ピピンの息子こそ、西ヨーロッパの大半を征服し「ヨーロッパの父」と称されるカール大帝です。800年にはローマ教皇レオ3世から皇帝として戴冠され、カロリング朝は最盛期を迎えます。王朝は987年まで続きましたが、その繁栄の基礎を築いたのは、間違いなく小ピピンだったのです。