はい、その通りです。ワイナ・カパックの死後、彼の二人の息子——ワスカルとアタワルパ——の間で、インカ帝国の支配権をめぐる熾烈な内戦が勃発しました。
帝位継承をめぐる対立の背景
1520年代後半、インカ帝国皇帝ワイナ・カパックが天然痘とみられる疫病により急逝すると、帝国は深刻な継承危機に陥りました。首都クスコを拠点とした正統な後継者ワスカルと、北部キト地方に強い基盤を持つアタワルパとの間で、帝位をめぐる対立が一気に表面化したのです。
インカ内戦の経過
この内戦はおよそ1529年から1532年にかけて続きました。当初はクスコの正統派であるワスカルが優勢でしたが、アタワルパ率いる軍勢が次第に勢力を拡大し、最終的に決定的な勝利を収めます。敗れたワスカルは捕らえられ、処刑されるという悲劇的な結末を迎えました。
内戦がもたらした歴史的転換点
しかし、アタワルパの勝利も長くは続きませんでした。内戦で帝国の軍事力と結束が大きく損なわれた直後の1532年、フランシスコ・ピサロ率いるスペインの征服者がペルーに到着します。アタワルパはスペイン人によって捕らえられ、翌1533年に処刑されました。
この兄弟間の内戦は、かつて南米の広大な地域を統治していた強大なインカ帝国が、わずかな数のスペイン人征服者の手によって崩壊へと向かう重要な要因の一つとなったのです。