古代の歴史

トンキンとは?フランス植民地時代のベトナム北部地域の歴史と地理

トンキン(Tonkin)は、フランス植民地時代には「トンキン(Tongking)」とも表記された、ベトナム北部を指す地域名です。興味深いことに、「トンキン」という呼称は、ベトナム人自身が自国の地域を表すために公式に使用したことは一度もありませんでした。

トンキンの語源と名称

「トンキン」の語源は、漢字で表記すると「東京(ドンキン/Đông Kinh)」、すなわち「東の都」を意味し、当時の首都ハノイを指す言葉に由来するとされています。フランス人がこの名称を用いてベトナム北部一帯を呼ぶようになったことが、この地域名の始まりです。

地理的な範囲

トンキン地域の中核となったのは、人口が密集し、稲作文化が高度に発達した紅河(こうが)デルタです。地理的には南はマ川以北に位置し、ニンビンが最南端の主要都市でした。そして北へは、中国との国境まで広がっていました。

この肥沃なデルタ地帯は古くからベトナムの政治・経済・文化の中心地であり、現在も首都ハノイや港湾都市ハイフォンなど、ベトナム有数の大都市が集中する要衝となっています。

封建勢力の抗争からフランス保護領へ

ベトナム北部には、封建勢力同士の覇権争いが繰り返されてきた長い歴史があります。この地域の宗主権は、数世紀にわたってベトナム諸王朝と中華帝国の間で揺れ動いてきました。

1883年、フランスと中国による宗主権をめぐる長年の争いの末、トンキンはフランスの保護領となりました。以降もこの地域は、その長い歴史を通じて中国からの文化的影響を強く受け続けました。

第二次世界大戦後、反仏闘争の中心地となる

第二次世界大戦後、トンキンは対フランス抵抗運動(反仏闘争)の中心地となりました。1945年にはハノイでベトナム民主共和国(北ベトナム)の独立が宣言され、その後の第一次インドシナ戦争では、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟会(ベトミン)がこの地域を拠点にフランス支配への抵抗を展開しました。

1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスが敗北したことにより、フランスによるインドシナ支配は終わりを迎え、トンキン地域は北ベトナムの中核として独立への道を歩んでいくことになりました。