「ヴァイキングが侵略してきたとき、イギリス人はなぜ攻撃しなかったのか」という問いはよく見かけますが、実はこの前提自体が誤りです。歴史的事実としては、イングランドの人々はヴァイキングの侵略に対して繰り返し戦い、時には決定的な勝利さえ収めています。
8世紀から10世紀、抵抗は続いていた
793年のリンディスファーン修道院襲撃に始まるヴァイキングの略奪は、8世紀後半から10世紀にかけて断続的に続きました。しかし、アングロサクソンの諸王国は黙って侵略を受け入れていたわけではありません。各地の王や領主たちは軍勢を組織し、要塞を築き、何度もヴァイキング軍と交戦しました。
アルフレッド大王の活躍
特に有名なのが、ウェセックス王アルフレッド大王(在位871〜899年)です。878年、グuthラム率いるデーン人(ヴァイキング)軍に一時追い詰められたものの、サマセットの湿原で態勢を立て直し、エディントンの戦いで大勝利を収めました。この勝利により結ばれたウェドモーア条約は、イングランド東部にデーンロー(デーン人の支配地域)を認める一方、ウェセックスの独立と存続を確固たるものにしました。
アルフレッド大王の防衛政策
アルフレッド大王は単なる軍事的勝利にとどまらず、以下のような長期的な防衛体制を整えました。
- バラ(burh)の建設:要塞化された城塞都市を各地に配置し、敵の侵攻に即応できる体制を構築
- 海軍の創設:ヴァイキングの長船に対抗できる艦船を建造
- 常備軍の改革:農民兵と貴族の軍事義務を体系化
その後のイングランドの抵抗
アルフレッド大王の後継者たち、特に息子のエドワード長兄王や娘のエゼルフラッド(マーシアの女領主)もデーン人との戦いを継続しました。10世紀半ばにはエドマンド1世やエドレッドがノーサンブリアを奪回し、エドガー平和王の時代にはイングランドはほぼ統一されます。
もちろん、11世紀初頭にはデーン王クヌート(カヌート)がイングランドを征服する場面もありましたが、これはイングランド側が無抵抗だったからではなく、内紛や賠償金(デーンゲルド)の負担など複合的な要因によるものでした。
まとめ
「イギリス人はヴァイキングに抵抗しなかった」というのは誤解です。むしろ、アルフレッド大王に代表されるアングロサクソンの指導者たちは、数百年にわたるヴァイキングの脅威に対して組織的かつ粘り強く戦い抜いたのです。彼らの抵抗があったからこそ、後のイングランド王国の基盤が築かれたと言えるでしょう。