紀元前409年、カルタゴ軍はシチリア島のギリシャ植民都市セリヌンテを徹底的に破壊し、2万人を超える住民を殺害するか捕虜としました。わずかに残った数千人の住民はカルタゴへの貢納民として市内にとどまりましたが、紀元前250年には人口すべてがリリバイウムへ強制移住させられ、二度と故郷の地へ戻ることはありませんでした。
以来2400年以上にわたり、都市の遺構は土砂の下で手つかずのまま眠り続け、考古学者たちによる調査の日を待ち受けていたのです。

土の中で眠っていた「完全な都市」
長い歳月をかけて、約2500戸の家屋、街路、港、そして食器用の陶器を生産していた工業地区からなる都市全体が発掘され、その姿を現しました。その驚異的な保存状態の高さから、考古学者たちはセリヌンテをポンペイになぞらえています。
実のところ、これまで地上に見えていたのは、壮麗なアクロポリスや神殿を含む都市全体のわずか15%にすぎませんでした。神殿のうち2つは地震で倒壊した後、20世紀半ばに復元されています。こうした経緯があり、セリヌンテは古典期のギリシャ都市として唯一、完全な姿で保存されている都市となったのです。
発掘が明かす「滅亡の瞬間」
現在進行中の発掘調査では、セリヌンテが都市としての機能を失い、泥の中に時間ごと閉じ込められた正確な瞬間を突き止めつつあります。この調査によって、ギリシャ都市にはどれほどの人口が暮らし、何戸の住宅を収容できていたのかという、従来まったく未知だったデータの算出が可能になりました。それまでの考古学者たちは、古代ギリシャの都市がどのように機能していたのか、断片的に知るしかなかったのです。

さらに、侵攻者の手によって焼かれたとみられる建物の崩落した屋根の下から出土した、十数個の鉢に残された食べ物の痕跡についても分析が進められています。
工業地区と経済の実態が見えてくる
また今回、考古学者たちはセリヌンテにおいて初めて、工業地区の運営の仕組みや、人口と地域経済との複雑な関係を解き明かしつつあります。

発掘を指揮しているのはボン大学のマルティン・ベンツ教授です。教授のチームはこれまでに、食品貯蔵容器や小さな神像の製造に使われた窯を最大80基も発見しています。
文字通り、一夜にして消えた都市
セリヌンテの考古学が世界的にも類を見ない存在である最大の理由は、都市全体が丸一日とかからずに居住地としての生命を絶たれた点にあります。文字通り一夜にして、この町は幽霊都市へと変わってしまったのです。

悲劇的な滅亡を迎えた紀元前409年より前、セリヌンテは最大30万点もの陶器を生産し、その約8割をギリシャ世界や地中海各地へ輸出していました。考古学者たちは現在、古代地中海世界全域で出土する陶器を調査することで、これらの輸出品がどこへ運ばれたのかを解明しようとしています。
悲劇的な消滅から2500年。セリヌンテはついに、その姿を再びよみがえらせようとしています。