イスラエル北部に位置する古代ユダヤ人の都市ベイト・シェアリム。その近くにある古代墓地に隣接した洞窟の中には、幅約2メートル、長さ3.5メートル、厚さ45センチという巨大なガラスの板が今も横たわっています。
その重さはなんと9トン。化学分析の結果、この板がガラスであることは確認されていますが、私たちが普段イメージする繊細で半透明なガラスとは程遠い姿をしています。完全に不透明で青みがかった灰色をしており、見た目はむしろ大きな石灰岩の塊にしか見えません。
この板が発見されたのは1960年代、洞窟の調査中のことでした。作業員たちは当初、これをコンクリートだと考えていました。ブルドーザーで引き剥がそうとする試みも行われましたが、あまりにも重すぎて動かすことはできませんでした。結局、板はその場に残され、洞窟内に博物館が建設されるのに合わせて、周辺区域は舗装されてしまいました。

転機が訪れたのは1963年。コーニングガラス美術館とミズーリ大学の合同調査隊が、この地域に古代のガラス工房の痕跡がないか調査していた際、ある調査員が「ベイト・シェアリムのあの板はガラスかもしれない」と提案したのです。そこで板の一部を切り出して研究室に送り分析したところ、その結果は研究者自身をも驚かせました。板はまぎれもなくガラスであり、その歴史は1600年前にまで遡ることが判明したのです。
人類とガラスの6000年の歩み
人類がガラスを作り始めたのは約6000年前のことで、鉄器の歴史よりもはるかに長いものです。最古のガラス製品は主にビーズで、金属精錬やファイアンス(陶器に似た素材)の製造過程で偶然生じた副産物としてのガラスから作られていました。
こうした初期のガラスは透明なものがほとんどなく、不純物や欠陥を多く含んでいました。本格的なガラスが登場したのは紀元前15世紀になってからで、現在のレバノン周辺、シリア北部沿岸、メソポタミア、そしてエジプトといった地域でした。

ローマ時代に入ると、砂やソーダ灰といった原料が容易に入手できたことから、地中海東部のこの地域はガラス製造の中心地となりました。ガラスは工房でまず大きな塊として作られ、ローマ帝国全土、後にビザンツ帝国へと運ばれました。各地の職人たちはその塊を再加熱して軟らかくし、吹き上げてさまざまな形の容器や品物へと仕上げていたのです。
しかし、ガラス作りは決して簡単な工程ではありませんでした。原料には不純物が含まれていることが多く、その量を正確に測るのは困難でしたが、ほんのわずかな違いがガラスの性質を大きく左右しました。
ガラスの主成分はシリカ(二酸化ケイ素)、つまり砂ですが、砂にはアルミナとおよそ8%の石灰も含まれています。石灰は重要な成分です。溶けた砂が結晶化するのを防ぎ、透明でほぼ無色の非晶質固体——いわゆるガラス——を作り出す「魔法の役割」を果たすからです。ところが、石灰が多すぎるとその効力を失い、溶けた砂は無数の微細な結晶構造へと変化し、出来上がったガラスは透明性を失ってしまいます。ベイト・シェアリムのガラス板は、まさにその失敗例なのです。
なぜベイト・シェアリムのガラス板は失敗したのか
ベイト・シェアリムでは、石灰岩のブロックで組み上げられた大型の溶解槽を使ってガラスが製造されていました。槽の内部寸法は縦2メートル×3.5メートル、高さは45センチ強。ここに約11トンの原料が詰め込まれ、1100℃まで加熱されました。槽内のすべての材料を完全に溶かすため、この温度を5日から10日間ほぼ一定に保ち続ける必要があり、そのために最大20トンもの燃料が消費されたと考えられています。

槽は信じられないほど重く石灰岩でできていたため、熱は下からではなく上から加えられました。巨大な板のそばには激しく燃焼した跡が残っており、考古学者たちはそこから火室(焚き火の場所)の位置を特定しています。槽は漆喰のアーチで覆われており、炎が混合物の上面に当たるように工夫されていました。
板から採取されたコア(芯)サンプルの分析によると、ガラスは上部から底部までほぼ均質でしたが、槽の底面から数センチ上の部分には、反応しきれず完全に溶けていない原料が残っていました。底にはコーヒーかすのような見た目の元の混合物が沈殿していたのです。どうやら熱が底まで十分に行き渡らず、この板はいわば「焼き上がりの途中」だったということになります。
さらに悪いことに、石灰岩の一部、あるいは槽を覆う漆喰のアーチが高熱で崩壊し、溶融した混合物の中へ崩れ落ちました。その結果、ガラス中の石灰含有量は推奨値である8%の2倍にまで達してしまったのです。こうして出来上がったのは、透明なガラスではなく、固化したシリカの塊でした。

そのため、このガラスが割られて容器などの製造に使われることはありませんでした。もし完璧なガラスになっていれば、ここから5万〜6万個もの小型の容器が作れたはずだと言われています。
この巨大なガラスの塊は今も、発見された当時のまま、博物館のビジターセンターとして使われている洞窟の床に静かに横たわり、1600年前の古代職人たちの挑戦と挫折を物語っています。
この記事はAmusing Planetに掲載された英語記事を翻案したものです。
参考資料
The Mystery Slab Of Beit She'arim(コーニングガラス美術館)/ Freestone, Hughes, Stapleton「The Composition and Production of Anglo-Saxon Glass」(Research Gate)