考古学的発見

フェリクス・ロムリアナ――セルビアに眠るローマ皇帝ガレリウスの壮麗な大宮殿

現在のセルビア東部、ティモク川流域の小さな村ガムジグラードの近郊。古代ドナウ防衛線(ドナウ・リメス)にもほど近いこの地には、大規模なローマ人集落の遺跡が静かに佇んでいます。

この遺跡に関する最初の記録は、1835年にドイツの地質学者アウグスト・フォン・ヘルダーによって残されました。さらに19世紀後半には、ハンガリーの考古学者フェリックス・フィリップ・カニッツが、「これまで見てきた中で最大級かつ保存状態の優れたローマ建築の一つ」としてこの遺跡を紹介しています。

しかしながら、本格的な発掘調査が開始されたのは1953年になってからのことでした。1975年、当時調査を指揮していた考古学者ドラゴスラフ・スレヨヴィッチは、この遺跡を、クロアチアのスプリトにあるディオクレティアヌス宮殿と同じく、皇帝ガレリウスが引退後の暮らしのために造らせた宮殿であると特定しました。

フェリクス・ロムリアナ――セルビアに眠るローマ皇帝ガレリウスの壮麗な大宮殿

決定的な証拠が現れたのは1984年です。遺跡内から「ロムリアナ」の名を刻んだ碑文が発見され、こここそがガレリウスが母ロムラ(この土地近郊の出身)を称えて建設させた古代のフェリクス・ロムリアナであると確定しました。これにより、宮殿が彼自身の隠棲の地でもあったことが裏付けられたのです。

とはいえ、すべての専門家が即座に同意したわけではありません。当時は「フェリクス・ロムリアナは現在のブルガリア北西部にあった」「ガレリウス本人の墓はギリシャ・テッサロニキの聖ゲオルギオス円堂にある」とする伝承が強く信じられていたためです。

フェリクス・ロムリアナ――セルビアに眠るローマ皇帝ガレリウスの壮麗な大宮殿

しかし、その後の調査で状況は一変します。遺跡の東側出口から約1km離れたマグラ丘で2基の墳丘墓が発見され、それらがガレリウスとその母の墓であることが判明したのです。こうして長年の謎は完全に解明されました。

皇帝ガレリウスとはどんな人物だったのか

正式名をガイウス・ガレリウス・ウァレリウス・マクシミアヌスといいます。彼は、後にみずからフェリクス・ロムリアナを築くことになるこの土地の出身とされています(ただし、生誕地は現在のブルガリアの首都ソフィア、すなわち古代セルディカではないかとする説もあります)。トラキア系の父と同じく牧畜に従事して育ったガレリウスは、ローマ軍に入隊し、アウレリアヌス、プロブス、ディオクレティアヌスの各帝のもとで次第に頭角を現していきました。

293年、ディオクレティアヌスが四帝政治(テトラルキア)を創設すると、ガレリウスは副帝(カエサル)に任じられます。あわせて皇帝の娘ガレリア・ウァレリアと結婚することになり、最初の妻ウァレリア・マクシミラとの離別を余儀なくされました。そして305年、ディオクレティアヌスとマクシミアヌスが同時に退位すると、ガレリウスは帝国東部を担う正帝(アウグストゥス)へと昇格したのです。

フェリクス・ロムリアナ――セルビアに眠るローマ皇帝ガレリウスの壮麗な大宮殿

宮殿づくりの背景と、母への思い

宮殿の建設が始まったのは289年のこと。当初は母ロムラの住まいとして計画されました。ガレリウス自身もまた、四帝政治の制度上の条件であった在位20周年記念祭(vicennalia)にあたる313年の退位後、この地で余生を送る構想を抱いていました。ところが運命はそれを許しません。ガレリウスは311年に世を去ります。その前にすでに母を亡くしていた彼は、彼女を近くのマグラ丘の墳墓に葬らせており、同じ丘には彼自身のための墳墓ももう一基造られていたのです。

栄枯盛衰——遺跡が歩んだ長い歴史

ガレリウスの死後、建設事業は中断され、フェリクス・ロムリアナは地方のヴィラ(荘園邸宅)あるいは農村(ウィクス)として細々と存続していきます。441年にはフン族の襲来によって破壊されましたが、その後およそ一世紀にわたり、敷地内には依然として人が住む家々が残っていました。

6世紀、ユスティニアヌス1世の治世になると遺跡は再建・拡張され、洗礼堂を備えた大型バシリカが建てられました。しかし、その後のアヴァール人およびスラヴ人の侵入によって再び破壊され、跡地には12世紀頃まで存続する新しい集落が形成されます。やがて放棄された遺跡は次第に荒廃し、19世紀に再発見されるまで忘却の中にありました。今日、この遺跡はヨーロッパにおける後期ローマ時代の最重要遺跡の一つと評価され、2007年にはユネスコの世界遺産にも登録されています。

フェリクス・ロムリアナ――セルビアに眠るローマ皇帝ガレリウスの壮麗な大宮殿

見どころ:堅牢な城壁と華麗なモザイクの殿堂

複合施設を囲む外壁は厚さ約4mに及び、高さ約15mの稜堡状の塔が20基備えられていました。一方、より古い時代の内壁には、厚さ1.8mの壁で結ばれた高さ10mの塔が16基並んでいたと考えられています。この二重の防御ラインの間には柱廊(ポルティコ)が通っており、その一部は現在も残っています。

敷地内には神殿が2棟(一つはガレリウスに、もう一つは母ロムラに捧げられたもの)、宮殿が2棟、さらに神話を主題とした見事なモザイクで飾られた回廊付きの建物が建ち並んでいました。

フェリクス・ロムリアナ――セルビアに眠るローマ皇帝ガレリウスの壮麗な大宮殿

宮殿の一つの玄関部(ウェスティブルム)は、幾何学文様をあしらい中央に迷路模様を配した長大なモザイクで完全に覆われています。壁面は大理石や緑色の斑岩(ポーフィリー)、フレスコ画で彩られ、建物は八角形の平面プランを採用しています。浴場のほか、玉座の間として使われたとみられる中央の部屋も備えていました。

さらに遺跡からは、斑岩で制作されたローマ皇帝たちの肖像彫刻や数多くの硬貨も出土しており、これらは遺跡の年代を正確に割り出す貴重な手がかりとなっています。