概要・立地環境
タイ教師評議会印刷所の建物は、バンコクのプラ・スメン通り沿い、プラ・スメン砦のすぐ隣に位置しています。現在この建物は、バーンラプー地区コミュニティのための文化学習センター「ピピット・バーンラプー(Pipit Bang Lamphu)」として活用されています。
基本情報
- 海抜標高:約2メートル
- 水系:チャオプラヤー川
- 地質条件:完新世の堆積層
- 考古学的時代:歴史時代
- 時代・文化:ラッタナーコーシン期(チャクリー王朝)、ラーマ7世の治世
- 遺跡の分類:産業関連遺構
歴史的背景
この一帯はかつて、ラーマ1世からラーマ4世の治世にかけて会計局長官および庫務局(財務部門)長官を務めたプラヤー・ラナートパックディー(アイム・ナー・マハーチャイ)の邸宅でした。その後王室財産となり、1924年には商務省がドイツ・オーストリア系百貨店の書籍や帳簿などの保管場所として使用を申請しました。
続く1925年には、司法省教科書局が教科書や教育課程の試験問題集などを出版するための教科書印刷所としてこの土地の利用を申請しました。印刷所は同時に、教科書を各地へ配布する中央倉庫の役割も担うことになり、そのため既存の建物の取り壊しと改修工事が行われました。なお、プラ・スメン通りに面したこの一帯には、もともとプラ・スメン砦へとつながる城壁が存在していましたが、1928年に印刷所の東側に隣接する土地の所有者マイトリーウァニット夫人(キムラン・ヨードマニー)が、当該区域における王都の城壁撤去を国王に請願し、城壁は取り壊されることになりました。
1932年、教科書局はタイ初となる印刷学校へと改組され、学校附属の印刷工場も併設されました。ここでは、午前に理論を学び、午後に実際の印刷作業を経験する学生たちが、労働の対価として賃金を受け取るという独自の教育制度が採用されていました。教育と受注印刷業務は1946年まで続けられました。
1950年には名称が変更され、タイ教師評議会傘下の組織である「教師協会プラ・スメン印刷工場」となり、各種教科書の印刷を手掛けました。1958年にはラートプラオに新しいタイ教師評議会印刷所が建設されたため、印刷業務は新施設へ移転します。旧印刷所の建物はその後、タイ教師評議会の倉庫として使われましたが、1995年に財務省との賃貸契約の満了により閉鎖され、2000年以降は放置されていました。そこで財務省は印刷所周辺の改修整備を進め、旧印刷所はバーンラプー地域の文化学習センター「ピピット・バーンラプー」として再生されました。現在は財務省国有貴重資産振興開発局によって管理されています。
主要な建造物
敷地内には以下の重要な建造物が残されています。
第1号館(印刷学校棟):鉄筋コンクリート造2階建てのL字型建築で、両側に木造建屋が接続しています。内部の床や階段は木製です。
第2号館(印刷学校工場棟):ラーマ5世時代から活躍した重要な建築家、プラ・サロージ・ラッタナーニッモーンの設計によるもので、幅7メートル、奥行き23メートルの長方形平面を持つ2階建て建築です。1階は鉄柱、2階は木造で構成されています。
アーチ門:敷地入口に残るアーチ型の門です。
保存活動と発掘調査
2013年、財務省はタイ教師評議会印刷所の保存事業を実施し、バーンラプー地域の歴史、バーンラプーのコミュニティ、クローン(堀)とラッタナーコーシンの城壁、そして財務省の歩みについて学べる博物館「バーンラプー博物館」とすることを目指しました。整備作業に合わせて、プラアーティット通り側の正門前の城壁部分で考古学的発掘調査が行われ、近くのプラ・スメン砦から続くとみられるラッタナーコーシン城壁の範囲を確認する調査が実施されました。
発掘調査の結果、入口門の内側からは城壁の基礎を示すレンガは見つかりませんでした。発掘地点自体はプラ・スメン砦から続く城壁の延長線上に位置していましたが、調査では鉄筋コンクリート構造を伴うレンガ造建築物と推定される建物の痕跡が確認されました。その基礎は地表から深さ180センチメートルの位置にあり、この場所にレンガとモルタルによる建物が存在していたことがわかります。すなわち、この土地にはラッタナーコーシン城壁の基礎が含まれていた可能性があるものの、実際には後代に建設されたレンガ・モルタル造の建物が城壁の基礎を破壊しながら建てられ、現在では城壁の証拠は何も残っていないと考えられています(カンニカー・スーティーラッタナピロム、2019年)。
参考文献
Kannikar Sutheerattanapirom(カンニカー・スーティーラッタナピロム)