AFP通信のカメラマンたちが、イラク北部の考古学遺跡ニムルードの破壊状況を捉えた世界初の写真を報じた。
2016年11月15日に撮影されたこの写真は、スマートフォンの画面に映し出された、ダーイシュ(ISIL=いわゆる「イスラム国」)による破壊前のニムルード遺跡の入り口である。
何ひとつ残らなかった遺産
もう何も残っていない。精緻な浮き彫り(バスレリーフ)の痕跡も、有翼人頭牡牛像(ラマッス)も、アッシュルナツィルパル2世(在位:紀元前883〜859年)の宮殿に受け継がれてきた数百年の遺構も、すべて消え去った。そこに残されていたのは、砕け散った石塊の山だけだった。
モースル(イラク)の南約30kmに位置する広さ360ヘクタールの古代都市ニムルード──かつての名はカルフ──は、ダーイシュによって完全に破壊された。テロ組織は遺跡を文字通りブルドーザーでならし、爆破解体したのである。
解放されたが、手遅れだった遺跡
ティグリス川東岸に位置するこの都市は、紀元前9世紀におけるアッシリア帝国の第2の首都として栄えた。2016年11月13日、イラク政府軍によって解放されたものの、その1年前からすでにスンナ派過激派による破壊的な攻撃にさらされていた。
2015年3月には、ネット上に投稿された動画を通じて、メソポタミア文明の貴重な作品々が生中継さながらに破壊されていく様子を、世界中が衝撃と無力感の中で見守ることとなった。
20世紀初頭の考古学発掘調査以来、そして1970年代以降に進められた修復事業によって、ニムルードは2003年のサダム・フセイン政権崩壊後に記録された初期の損傷にもかかわらず、衛星画像が示すとおり貴重な考古学的遺構を守り続けてきた。しかし、モースル解放の流れに沿って現地に入ることができたカメラマンたちが持ち帰ったのは、痛ましい光景ばかりだった。
世論への挑発としての破壊行為
シリアのパルミラとその粉々に打ち砕かれた神殿群に続き、イラクのニムルードもまた、ただの瓦礫の原と化してしまった。
「これは、西洋の世論に感情的な衝撃を与えることを意図した、計画的な犯罪行為です」。イスラム専門家であり、CNRS(フランス国立科学研究センター)研究ディレクター、著書『ダーイシュの罠』の著者でもある歴史家ピエール=ジャン・リュイザール氏は、2015年3月の時点でそう指摘していた。そして今回の破壊もまた、明白な一つの戦争犯罪なのである。
なお、ハトラの遺跡、そしてサルゴン2世(在位:紀元前722〜705年)の帝都ホルサバードは、依然としてダーイシュの支配下に置かれたままである(仏科学誌『サイエンス・エ・ヴニール』2016年11月号ではホルサバードを特集)。文化遺産の破壊をめぐる問題は、2016年12月14日から2017年1月9日までパリのグラン・パレで開催される展覧会「永遠の場所──バーミヤンからパルミラへ」においても取り上げられる予定だ。


