考古学的発見

バチカン「秘密文書館」が改名へ——長年の謎めいたイメージ払拭の狙い

「秘密文書館」から「使徒座文書館」へ——名称変更の背景

カトリック教会の総本山であるバチカン(ローマ教皇庁)は、かねてより「秘密文書館(Archivio Segreto Vaticano)」の名で知られてきた公文書館の名称を、「バチカン使徒座文書館(Vatican Apostolic Archives)」へと改めることを発表しました。その目的は、この由緒ある文書館に長年まとわりついてきた「謎めいた」「陰謀めいた」というイメージを一掃することにあります。

バチカン「秘密文書館」が改名へ——長年の謎めいたイメージ払拭の狙い

フランシスコ教皇は2019年10月28日、教皇自身の発議による法令「モトゥ・プロプリオ(Motu Proprio)」をもって、この名称変更を決定しました。バチカンの声明によれば、「秘密」という言葉は「隠されたもの」「有害なもの」といった曖昧で否定的なニュアンスを伴って誤解されてきたといいます。

「secretum」はもともと「私的な」という意味

ラテン語の正式名称「Archivum Secretum(アルキウム・セクレトゥム)」に含まれる「secretum」は、本来「隠匿された」ではなく「私的な(private)」という意味でした。ところが「秘密」という言葉の響きゆえに、これらの文書群には当初から怪しげな香りが漂うことになったのです。実際には、所蔵文書の大部分は1881年以降、研究者に公開されています。

8世紀にまで遡る膨大なコレクション

文書館の起源は1612年、パウロ5世教皇が聖座(ローマ教皇庁)の公式文書を一箇所に集成したことに遡ります。所蔵される最古の文書は8世紀のもので、以来1200年以上にわたり人々の想像力をかき立ててきました。「禁じられた文書やオカルト的な文書が眠っている」「外部の目から隠された書庫が存在する」——ありとあらゆる憶測が語られてきたのです。

現在、これらすべての文書はサン・ピエトロ大聖堂近くの建物に収められており、その歴史的価値は計り知れません。主な所蔵品には、次のようなものがあります。

  • 1521年:プロテスタント宗教改革の中心人物マルティン・ルターを破門したレオ10世教皇の勅令
  • 1633年:地動説を説いた罪で異端審問所により有罪となった天文学者ガリレオ・ガリレイの裁判記録
  • 1534年:イングランド国教会とローマ教会の分裂につながったヘンリー8世の離婚請求(却下)
  • システィーナ礼拝堂の仕事の報酬未払いを嘆いたミケランジェロ直筆の文書
  • 異端審問所やテンプル騎士団に関する文書 ほか多数
バチカン「秘密文書館」が改名へ——長年の謎めいたイメージ払拭の狙い

異端審問所によって学者が有罪とされたガリレオ裁判の記録。写真:Tiziana Fabi / AFP

2012年の特別展「Lux in Arcana」が示した第一歩

実は2012年、ローマのカンピドリオ美術館はすでに「秘密の解除」への第一歩として、「Lux in Arcana(秘められし光)」と題する特別展を開催し、約100点の文書を一般公開しました。

薄暗い照明のショーケースには、数々の歴史的逸品が並びました。1493年5月4日付、アレクサンドル6世教皇による教皇子午令「Inter cetera」——クリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸「発見」後の新たな世界分割を告げる文書。スコットランド女王メアリー・ステュアート(1542〜1587年)とフランス王妃マリー・アントワネット(1755〜1793年)の処刑前の嘆願書。カリフ・ウマル・アル=ムルタダ(1248〜1266年)と教皇インノケンティウス4世の往復書簡。さらには、ルクレツィア・ボルジア(1480〜1519年)が父アレクサンドル6世教皇宛てに送った手紙まで展示されました。

ピウス12世時代の文書が公開へ

さらにバチカンによれば、1939年から1958年の期間をカバーする文書、すなわち第二次世界大戦期の教皇ピウス12世の役割に関わる資料が、2020年3月2日から研究者の閲覧対象となります。それまで専門家がアクセスできたのは1939年2月までの文書にとどまっていました。新たな歴史的発見の可能性が広がりそうです。