考古学的発見

スペイン人はアステカの黄金や財宝をどうしたのか?その行方を徹底解説

16世紀、スペインのコンキスタドールたちがアステカ帝国を征服した際、膨大な量の黄金や財宝が略奪されました。では、これらの貴重な財宝はその後どうなったのでしょうか?ここでは、アステカの黄金と財宝の主な行方を6つの観点からご紹介します。

1. 溶かして再鋳造

アステカから奪った黄金や財宝の多くは、溶かされて再び鋳造されました。スペインのコイン、宝石細工、宗教的な器物などへと生まれ変わり、アステカ芸術としての本来の姿を失っていきました。

2. 本国スペインへ移送

金・銀・宝石など、アステカから得た富の相当な部分は大西洋を越えてスペインへ運ばれ、王室の宝物庫に収められました。これらの財宝は、スペイン帝国の繁栄とヨーロッパにおける覇権を支える大きな原動力となりました。

3. コンキスタドール個人の取り分

征服への参加に対する報酬として、複数のスペイン人コンキスタドール(征服者)が自らの取り分として財宝を手に入れました。エルナン・コルテスのような指導者だけでなく、一般の兵士にも一定の分配が行われたとされています。

4. 紛失や破壊

保管や輸送の過程、あるいはその後の度重なる戦争の中で、一部の品々は行方不明になったり損傷したりしました。さらに、アステカ側またはスペイン側によって隠された財宝が、ついに完全には回収されなかったという記録も残っています。

5. 外交上の贈り物として献上

時には、ヨーロッパの重要な勢力や先住民の勢力との友好関係や同盟を築くために、黄金や財宝が外交上の贈り物として使われることもありました。財宝は単なる富ではなく、政治的な駆け引きの道具でもあったのです。

6. 海難事故による喪失

財宝をスペインへ運ぶ途中、貴重な積荷を載せた船が荒波で沈没する事故も少なくありませんでした。特に、アメリカ大陸からの莫大な財宝を積んでいた「ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャ号」は、1622年にフロリダ沖で沈没した有名な難破船として知られています。この船の残骸と財宝は、20世紀になってから発見されました。

このように、アステカの黄金と財宝は再鋳造、移送、分配、紛失、献上、海難と、さまざまな運命をたどりました。その一部は今も海底に眠っていると考えられており、多くの人々の想像を掻き立ててやみません。