考古学的発見

オーストラリアで金を発見したエドワード・ハーグレイブスは、なぜ最初に豪州へ渡ったのか?

オーストラリアのゴールドラッシュの火付け役として知られるエドワード・ハーグレイブス。彼が最初にオーストラリアへ渡った理由と、金発見にまつわる真実を詳しく解説します。

まず知っておきたい誤解:発見地はバサーストそのものではない

よく「バサーストで金を発見した」と言われますが、厳密には正確ではありません。ハーグレイブスが砂金を見つけたのは、バサースト北西に位置するルイス・ポンズ・クリーク沿いの「オフィア(Ophir)」という場所でした。とはいえ、この一帯はバサースト近郊であるため、「バサースト・ゴールドラッシュ」という呼び名が広く定着しています。

なぜハーグレイブスはオーストラリアへ渡ったのか?

ハーグレイブスは1816年、イングランドのゴスポートに生まれました。1832年、わずか15歳の若さで単身、ニューサウスウェールズ植民地のシドニーへ渡ります。動機はシンプルで、裕福ではない家庭の出身だった彼には本国での将来性が限られており、新天地の植民地に機会を求めたのです。

渡豪後はバサースト周辺の牧羊場で働いたり船員として生計を立てたりしましたが、大きな成功は収められませんでした。1849年にはカリフォルニアのゴールドラッシュに憧れてアメリカへ渡りますが、そこでも一攫千金には失敗しています。

カリフォルニアでの気づきと1851年の発見

しかし、この失敗こそが転機となりました。ハーグレイブスは、カリフォルニアの鉱山地帯の地質が、かつて働いていたバサースト周辺の地形によく似ていることに気づいたのです。「ならばオーストラリアにも金があるはずだ」と確信した彼は、1851年1月にシドニーへ帰還しました。

バサースト方面へ向かったハーグレイブスは、ジョン・リスターやウィリアム・トムら現地の若者たちとともに探査を行い、1851年2月、オフィアの川床で砂金の採取に成功します。実際の採掘作業の多くはリスターとトムの手によるものでしたが、植民地政府から支払われる報酬と「発見者」の名声はハーグレイブスが手にすることになりました。

オーストラリア史を変えた発見

この発見をきっかけに、国内はもとより海外からも大量の人々が押し寄せる大ゴールドラッシュが勃発し、ニューサウスウェールズ植民地の人口と経済は劇的に変化しました。ハーグレイブス本人は政府から報酬を受け取り、その後は公職にも就いています。その功績をめぐっては今なお議論がありますが、オーストラリアのゴールドラッシュに火をつけたのが彼であることは、歴史的事実として残っています。