16世紀、スペインの探検家たちは新大陸で富と栄光を求めて果てなき旅を続けていました。その中でも特に有名なのが、フランシスコ・バスケス・デ・コロナド、エルナンド・デ・ソト、そしてフアン・ロドリゲス・カブリオの三人です。彼らはそれぞれ異なる目的を抱いて北米へ足を踏み入れましたが、共通していたのは「未知への挑戦」という強い意志でした。
フランシスコ・バスケス・デ・コロナド:黄金とシボラの七都市
コロナドが追い求めたのは黄金と、伝説の「シボラの七都市」でした。当時、北米の内陸部に七つの黄金都市が存在するという噂が広まっており、1540年から1542年にかけて、コロナドは大規模な遠征隊を率いて現在のメキシコ北部からアメリカ南西部(アリゾナ、ニューメキシコ、テキサス、カンザスなど)を縦断しました。
しかし、目指したシボラの都市は実在せず、発見されたのはプエブロ族の集落だけでした。黄金も見つからず、遠征は失敗に終わりましたが、この旅によってヨーロッパ人は初めてグランドキャニオンやリオグランデ川流域を目にすることとなり、北米内陸部に関する貴重な地理的知識をもたらしました。
エルナンド・デ・ソト:黄金と太平洋への航路
デ・ソトが求めたのは黄金と、太平洋へ至るルートでした。1539年から1542年にかけて、彼は約600人の部隊を率い、現在のフロリダからジョージア、アラバマ、ミシシッピ、アーカンソーへと、アメリカ南東部を大規模に探検しました。
デ・ソトは1541年にミシシッピ川を渡った最初のヨーロッパ人として記録されています。しかし、期待した黄金や太平洋への道は最後まで見つからず、彼自身も1542年に熱病でこの地で生涯を閉じました。それでも、この遠征はヨーロッパ人によるアメリカ南東部 interior の最初の本格的な探検として歴史に刻まれています。
フアン・ロドリゲス・カブリオ:西北航路の探索
カブリオが目指したのは「西北航路(ノースウェスト航路)」、すなわち大西洋と太平洋をつなぐ海上ルートの存在でした。1542年、彼はメキシコ西岸から出航し、ヨーロッパ人として初めて現在のカリフォルニア沿岸を北上する航海を行いました。
カブリオはサンディエゴ湾を「発見」し、さらに北へと進みましたが、残念ながら航路は存在せず、彼自身も航海中に負傷がもとで亡くなりました。それでも、この探検はカリフォルニア沿岸のヨーロッパによる調査の出発点となり、後の太平洋岸探検への重要な一歩となりました。
まとめ
三人の探検家の目的を整理すると以下のようになります。
- コロナド: 黄金とシボラの七都市
- デ・ソト: 黄金と太平洋への航路
- カブリオ: 西北航路(ノースウェスト航路)
彼らの探検は、当初の目的である黄金や航路の発見という点では失敗に終わりました。しかし、その結果として北米大陸の広範な地域が初めて地図に描かれ、ヨーロッパとアメリカ大陸の歴史を大きく動かすきっかけとなったのです。