アメリカ合衆国がハワイのオアフ島に位置する真珠湾に大規模な海軍基地を建設する権利を獲得したのは、1898年のハワイ併合によるものです。この歴史的経緯は、19世紀後半の太平洋における大国間の勢力争いを如実に物語っています。
1875年・1887年の条約による足掛かり
実は、アメリカと真珠湾との関係は併合より前から始まっていました。1875年に締結された互恵通商条約により、ハワイ産の砂糖が関税なしでアメリカ本土へ輸出できるようになると、ハワイ経済はアメリカへの依存を深めていきます。さらに1887年には追加条約が結ばれ、アメリカは真珠湾に石炭補給所や船舶修理施設を設置する権利を獲得しました。ただし、この時点ではまだ本格的に要塞化された軍事基地ではありませんでした。
1898年、議会の合同決議によるハワイ併合
転機となったのは1898年です。同年の米西戦争でグアムやフィリピンを獲得したアメリカは、太平洋戦略上の観点からハワイ併合への機運を一気に高めていました。マッキンリー政権下で上下両院による合同決議、いわゆる「ニューランズ決議」が可決されると、ハワイ共和国は正式にアメリカへ併合されます。これによりハワイはアメリカの準州(テリトリー)となり、同時にアメリカはオアフ島の真珠湾に海軍基地を建設する権利を完全に手に入れたのです。
要塞化された海軍基地への発展
併合後、アメリカ海軍は真珠湾の開発に本格的に着手します。浚渫(しゅんせつ)工事によって浅かった湾の水路が深く掘り下げられ、乾ドックや燃料貯蔵施設、造船所などが次々と整備されました。20世紀初頭には太平洋艦隊の母港として機能するようになり、やがてアメリカ海軍の最重要拠点の一つへと成長していきます。
1959年の州昇格と現在
ハワイは当初、準州として統治されていましたが、1959年8月21日に50番目の州として連邦に加盟しました。これにより真珠湾は、「州内に存在する要塞化されたアメリカ海軍基地」としての地位を確立することになります。今日の真珠湾は現役の海軍拠点であると同時に、真珠湾攻撃を追悼するアリゾナ記念館など、歴史を後世に伝える重要な場所としても多くの人々に知られています。