歴史上の人物

喜んで無礼を貫いて――ドイツの「国民の母」インゲ・メイゼル

その物怖じしない物言いが愛され、毅然とした女性像が観客の心をつかんだ――女優インゲ・メイゼル(Inge Meysel)は、70年以上にわたるキャリアの中で、実に多彩な役柄を演じ続けた伝説的な存在です。

社交界の淑女から掃除婦、陰湿な殺人犯まで、あらゆる役を演じ分け、数々の栄誉に輝きました。オットー賞9回、バンビ賞5回、ゴールデンカメラ賞、ドイツテレビ賞など、受賞歴は枚挙にいとまがありません。ただし、連邦功労十字章だけは「まともに人生を生きただけで勲章をもらえるのか?」という言葉とともに、自ら辞退しています。

遠慮のない口と豊かなユーモア

インゲ・メイゼルが自分自身について最も誇りとしていたのは、その遠慮のなさでした。「相手が私に失礼になる前に、私が先に失礼をしてやる」というのが持論。しかも、できれば大勢の観客の前で、というのがお気に入りのスタイルでした。

トーク番組への出演も伝説となっています。90歳の誕生日にヨハネス・B・ケルナーの番組へゲスト出演した際には、最初の質問を受けてただちに「あなたの進行の仕方はおかしい」と不満を漏らし、司会者を完全に降参させてしまいました。2001年にはトーマス・ゴットシャルクの人気番組「ウェッテン・ダス?」でも強烈なパフォーマンスを披露。同席していたアリアーネ・ゾンマーやナディア・アブド・エル・ファラグといった美女たちへの小さな当てこすりのように、胸に手を当てて「私の胸は本物よ。神が造ったままの姿だもの」と宣言したのです。

シュテルン誌を訴えた「セクシズム裁判」

インゲ・メイゼルは生涯を通じて、議論や論争を避けることはありませんでした。自分の意見をはっきりと口にし、必要とあれば法廷でも発言しました。「戦い続けることが若さの秘訣」をモットーとしていたのです。1978年には、フェミニズム運動家アリス・シュヴァルツァーら他8人の女性とともに、ハンブルク地方裁判所で行われたいわゆる「セクシズム裁判」の原告の一人となりました。

原告側は週刊誌「シュテルン」を提訴し、「表紙で女性を単なる性的対象として描くことで原告らを侮辱し、男性読者に女性を意のままに支配できるという印象を与えている」として、こうした表現の禁止を求めました。しかし残念ながら、この裁判は原告の敗訴に終わっています。

ナチス政権下で強制された活動休止

インゲ・メイゼルは、自分の道を自ら切り開く術を早くから学びました。デンマーク人の母とドイツ系ユダヤ人の父のもと、1910年5月30日にベルリンで生まれます。両親は男の子を望んでいましたが、生まれてきたのはインゲでした。父親は彼女にやや「男性的」な教育を施し、17歳で学校を去って女優を目指したときにも、両親は止めることができませんでした。1930年、ツヴィッカウの劇場でデビューを果たします。

仕事も私生活も順調に見えました。最初の大きな恋であるヘルムート・ルドルフとの出会いもありました。しかし、ナチスが政権を握ると状況は一変します。ライプツィヒの劇場総監督との面接に招かれたメイゼルは、後にこう回想しています。「数ヶ月後、オットー・ヴェルターから聞いたのです。劇作家1人、俳優2人、そしてもう1人の同僚が、私がユダヤ人の血を引いていることを理由に、私との共演を拒否したと」。こうして「混血(ミシュリング)」とされた彼女は、1933年に出演を禁じられ、他の劇場でも同じ扱いを受けました。

さらに戦争中、インゲ・メイゼルは妊娠しますが、空襲に遭った際に3ヶ月早く陣痛が始まりました。子供は生まれたものの、まもなく亡くなってしまったのです。

第二次世界大戦後の再出発

終戦後、失った演技の時間を取り戻したいという思いに駆られたメイゼルは、まずハンブルクのタリア劇場で舞台に立ちます。二度と自分の人生を他人に左右されたくなかったのです。しかし35歳になっていた彼女は、もはや若い役には適さなくなっていました。

そこで彼女は、機転の利く主婦役を演じることが多くなります。いくつかの大衆演劇を経てレパートリーを広げ、性格役にも挑戦しました。そして1960年代、まだ新しいメディアだったテレビに活躍の場を見出します。以降、100以上のテレビ役を演じることになりました。

女優インゲ・メイゼル――「国民の母」の称号

多くの人にとって、インゲ・メイゼルはまさに「国民の母」でした。この称号の正確な由来は誰にもわかりません。ある説では、初期のテレビ作品で管理人役を演じ、子どもたちへの深い愛情が印象的だったことに由来するといいます。

また別の説では、テレビシリーズ『改められない人々(Die Unverbesserlichen)』で演じたケーテ・ショルツ役がその起源だとされます。1965年から1971年にかけて、毎年母の日にエピソードが放送され、強く頼れる母親像が視聴者の心に刻まれました。ところが本人はそうは考えておらず、自分はまったく母性的な人間ではないと語っていました。実際、インゲ・メイゼルは二度の結婚を経験します。最初はハンブルクの俳優ヘルムート・ルドルフ、次は演出家ヨーン・オルデンでしたが、どちらの結婚でも子供には恵まれませんでした。

2001年にはテレビ映画『アレクサンダー広場の恋人たち』に出演。最後の役となったのは2004年、刑事ドラマ『ポリツァイルーフ110』のエピソード「私の最期の遺言」でした。

晩年のインゲ・メイゼルは、ニーダーザクセン州ゼーフェタール町ブレンハウゼンの自宅で静かな隠棲生活を送りました。そして2004年7月10日、94歳でその波乱に満ちた生涯を閉じたのです。