カスティーリャ女王イサベル1世(イサベル・ラ・カトリカ、1451年~1504年)は、1474年から1504年までカスティーリャ・レオンの女王、1479年から1504年までアラゴンとシチリアの女王を務めたスペインの君主です。
3歳で交わされた婚約
イサベルは、ポルトガル王族出身の母イサベルと、カスティーリャ・レオン王フアン2世の娘として、1451年4月21日にマドリガル・デ・ラス・アルタス・トーレスで生まれました。1454年に父が亡くなると、幼いイサベルと弟アルフォンソは、異母兄エンリケ4世が王位を継承する中で、認知症の発作に苦しむ母とともに、経済的にも厳しい状況で暮らすことになりました。
1461年、コルテス(身分制議会)の貴族たちは国王に対抗するため、イサベルとアルフォンソをセゴビアへ連れて行きました。嫡出子のいないエンリケ4世はアルフォンソを後継者に指名しましたが、アルフォンソは1468年に、毒殺された疑いのある状態で死去します。貴族たちの圧力を受けたエンリケ4世は、代わりにイサベルを後継者に指名しました。
やがて若きイサベルの結婚交渉が始まります。彼女は3歳のときにすでにアラゴン王フアン2世の子フェルナンドと婚約していましたが、エンリケ4世はビアナ公カルロス、次いでポルトガル王アフォンソ5世との縁談を画策し、いずれも失敗に終わりました。一方、イサベル自身はフェルナンドこそ最良の相手だと考え、アラゴン王フアン2世と密かに交渉を進めます。エンリケ4世はこの結婚に強く反対しましたが、1469年10月14日、イサベルとフェルナンドは王の意志に反して結婚を果たしました。これに対しエンリケ4世は、正統性が疑わしい実の娘ファナを後継者に指名します。
カスティーリャ・レオンの女王として
1474年にエンリケ4世が死去すると、イサベルは自ら女王であることを宣言し、王位継承危機が勃発しました。イサベルとフェルナンドは、「王の実子ではない」という噂のあるファナから王位を奪うため内戦を戦います。戦いの末、ファナは修道院に幽閉され、イサベルとフェルナンドが王位に就きました。ただし、実際の権力を握っていたのはイサベルの方でした。1479年にはフェルナンドがアラゴンとシチリアの王位を継承し、夫妻による共同統治が始まります。
夫妻の間には6人の子どもが生まれました。敬虔なカトリック信者であった二人は強硬な宗教政策を推進し、改宗を拒むユダヤ人をオスマン帝国へ追放するとともに、異端審問所(インクィジシオン)を再編しました。1492年にはグラナダを併合してレコンキスタ(イベリア半島再征服運動)を完成させ、数百年に及ぶイスラム勢力のスペイン支配に終止符を打ちます。また、クリストファー・コロンブスによる新航路開拓の計画を承認したのも、ほかならぬイサベルでした。
イサベル1世は1504年11月26日、子宮がんのためこの世を去りました。