サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt、1844年~1923年)は、フランスを代表する世界的な悲劇女優です。史上初めて5大陸での巡業を実現した女優としても知られ、「黄金の声」「女神(ディーヴァ)」など数々の異名で呼ばれました。
天職との出会い
1844年10月22日、サラ・ベルナールはオランダ人高級娼婦ジュディット=ジュリー・ベルナールトの娘として生まれました。父親は不明で、出生名はロジーヌ・ベルナールト。後に名を「サラ」に改め、姓にはHを加えています。
幼少期はブルターニュ地方のケンペルレで乳母とともに過ごし、ブルトン語しか話さない孤独な子供時代を送りました。その後、母親によってヴェルサイユのグラン=シャン修道院に送られます。叔母の愛人だったモルニ公爵の後押しで彫刻や絵画の教育も受けましたが、修道院での劇上演をきっかけに、演劇こそが自分の天職であると確信するようになりました。
モルニ公爵の引き立てにより、1859年にパリ国立高等演劇学校(コンセルヴァトワール)へ入学。1862年にはコメディ・フランセーズの座を得ますが、団員に平手打ちをしたことが原因で1866年に退団となりました。その間、ベルギー人貴族との恋の末、一人息子モーリスを出産しています。
コメディ・フランセーズ退団後はオデオン座と契約し、そこで名声を確立。ヴィクトル・ユゴーの『ルイ・ブラス』の女王役で大成功を収めました。1870年のパリ包囲戦の際には、劇場を軍事病院に改装して負傷兵の看護に当たったことでも知られています。
「黄金の声」、世界への飛翔
オデオン座で名声を得た後、再びコメディ・フランセーズに戻り、ラシーヌの『フェードル』やユゴーの『エルナニ』で輝かしい成功を収めました。しかし1880年に退団して自身の劇団を立ち上げ、ロンドン、コペンハーゲン、アメリカ、ロシアなど世界各地で公演を行います。男性役を演じることさえ厭わず、その土地土地で熱狂的な歓迎を受けました。
彼女は「黄金の声」「女神(ディーヴァ)」「スキャンダラスな女」などと呼ばれ、詩人ジャン・コクトーは彼女を評して「聖なる怪物」という有名な言葉を作り出しました。エドモン・ロスタンの『青年エーグラン』など、彼女に着想を得た作品も数多く生まれています。1893年にはルネサンス座の座長に就任し、続いて国民劇場(後のサラ・ベルナール座)を率いて、自ら戯曲を書くこともありました。
多くの恋愛遍歴でも知られるサラは、1882年にロンドンでギリシャ人俳優アリスティド・ダマラと結婚しますが、夫婦関係は長続きせず、離婚しないまま別々の道を歩みました。奇矯な言動や虚言癖でも有名でしたが、一方で強い信念を持ち、社会問題にも積極的に発言しました。ドレフュス事件ではエミール・ゾラを支持し、革命家ルイーズ・ミシェルを擁護し、死刑制度廃止の立場を終生貫いたのです。
晩年――舞台への不屈の情熱
1900年には映画『ハムレットの決闘』に出演し、映画女優としても活動を開始。その後も複数の作品に出演し、うち2本は自伝的な内容のものでした。
1914年にはレジオン・ドヌール勲章を受章。しかし翌1915年、70歳のときに骨結核のため右脚を切断されてしまいます。それでも車椅子で舞台に立ち続け、輿(こし)に乗って前線の兵士たちを慰問したという逸話は、彼女の不屈の精神を今に伝えるものです。
1923年3月26日、サラ・ベルナールは一人息子モーリスの腕の中でこの世を去りました。「黄金の声」を持つ「聖なる怪物」は、5大陸を巡りながら、演劇史に燦然と輝く伝説を残したのです。