歴史上の人物

ソフィー・ショル――ナチスに立ち向かった「白いバラ」の若き抵抗者

ソフィー・マグダレーナ・ショル(Sophie Magdalena Scholl、1921年~1943年)は、第二次世界大戦中のドイツにおけるレジスタンス活動家であり、反ナチス抵抗運動「白いバラ(Die Weiße Rose)」の中心的な存在の一人でした。

ドイツ少女同盟への入団

6人兄弟の4番目の子として、1921年5月9日、父親が町長を務めていたドイツ南部の町フォルヒテンベルクに生まれました。学校では非常に優秀で、敬虔なルター派として育ち、絵画やデッサンの才能を早くから発揮していました。

12歳のとき、女子校の同級生の大半と同じように、ヒトラー・ユーゲントの女子組織である「ドイツ少女同盟(BDM)」に入団します。しかし、そこで吹き込まれる価値観や思想に対し、次第に批判的な視点を持つようになりました。哲学や神学に強い関心を持ち、人間の尊厳を何よりも大切にする彼女は、やがてナチズムのイデオロギーにはっきりと反発するようになっていきます。

抵抗への道

1940年に卒業した後、ソフィーは幼稚園の教員となりました。子どもが好きだったことに加え、この職業ならば強制労働義務(国家労働奉仕)を免れられるのではないかと期待していたといわれます。しかしその望みは叶わず、1941年春には約半年間、保育要員として勤務することになりました。この労働奉仕の持つ軍事的な性格は、彼女に政治状況や「消極的抵抗」のあり方について深く考えさせる契機となりました。

1942年、ミュンヘン大学に進学し、生物学と哲学を学び始めます。そこで、医学を専攻していた兄ハンスの友人たちと出会いました。彼らの交友関係は、政治的見解だけでなく、芸術、文学、哲学、神学への共通の情熱によって固く結ばれていました。ソフィーは多くの芸術家や知識人たちと交流し、とりわけ「独裁政権の下で個人とはどう行動すべきか」という問いについて議論を重ねました。

当時、父親はヒトラーを批判した罪で投獄されており、兄ハンスは東部戦線の病院で衛生兵として従軍していました。東部戦線から持ち帰られた話などを通じてナチス体制の蛮行を知った彼女は、もはや黙っていることはできないと確信するようになります。

「白いバラ」とその最期

1942年6月頃から、ソフィーは兄ハンスやカール・ムートらの抵抗活動に加わり、ナチズムと戦争に反対するビラの作成・配布を手伝うようになりました。街頭での配布を担うことも多く、ドイツ各地を巡って「白いバラ」のメッセージを広め、国民一人ひとりにナチズムへの受動的抵抗を呼びかけ続けました。

しかし1943年2月18日、大学の用務員による通報がきっかけとなり、ソフィーは兄ハンス、そして同志のクリストフ・プロープストとともにゲシュタポに逮捕されます。

ゲシュタポの尋問に3日間にわたり耐え抜きましたが、ついに「白いバラ」への所属を認めざるを得ませんでした。同年2月22日、人民法廷による短時間の裁判の末、クリストフ、ハンス、ソフィーの3人は反逆罪で死刑を宣告され、その日のうちに処刑されました。21歳という若さでした。看守たちの証言によれば、ソフィーは最後の瞬間まで勇敢さを失わず、「私が死ぬことは何でもない。それが何千もの人々の目覚めにつながるのであれば」という趣旨の言葉を残して散ったといわれています。