歴史上の人物

アンヌ・ド・モンモランシー(1493–1567)――フランス・ルネサンスを牽引した王国一の大貴族

アンヌ・ド・モンモランシー(1493–1567)――フランス・ルネサンスを牽引した王国一の大貴族

フランス王国で最も権勢を誇る名家の一つに生まれたアンヌ・ド・モンモランシーは、後の国王フランソワ1世とともにアンボワーズ城で育ちました。二人の間には幼少期からの強い信頼関係が築かれ、それは生涯にわたって続くことになります。

軍人としての頭角とパヴィアの捕虜

モンモランシーの軍事的才能は、イタリア戦争の主要な戦い――ラヴェンナ、ノヴァーラ、そして1515年のマリニャーノの戦い――で遺憾なく発揮され、広く認められるところとなりました。その功績によりフランス元帥に任じられます。

しかし1525年のパヴィアの戦いでは、国王フランソワ1世とともに神聖ローマ皇帝カール5世の捕虜となってしまいます。釈放後は王国大司馬(コネタブル)――すなわち王国軍の最高司令官――に昇進し、宮廷における彼の権力はさらに盤石なものとなりました。

和平派としての対立とカトリック三頭政治

穏健な和平推進派であったモンモランシーは、対外戦争を重視するフランソワ1世の方針と衝突することもありました。その後、アンリ2世の治世下では、ギーズ公およびサンタンドレとともに「カトリック三頭政治」を形成し、宗教戦争前夜のフランス政界において絶大な影響力を握ります。

晩年と最期

その後も数々の軍事作戦に参加しましたが、1557年のサン=カンタンの戦いではスペイン軍を前に大敗を喫しています。そして1567年、ユグノー軍とのサン=ドニの戦いにおいて背後から銃撃を受け、74歳で戦死しました。

ルネサンスの偉大な庇護者

優れた美意識の持ち主でもあったモンモランシーは、自らの領地においてシャンティイ城の大規模な改築を行い、さらにエクアン城を新たに建造させました。芸術家たちの保護者(パトロン)として、またフランス・ルネサンスを体現する人物として、彼の功績は今日まで高く評価されています。