
アントニ・ボイスによるリクサ・エリザベタの肖像。
ポーランドとボヘミアの女王
リクサ・エリザベタ(1288年–1335年)は、ポーランド王プシェミスウ2世の一人娘であり、プシェミスル朝のヴァーツラフ2世の妃として、ボヘミアとポーランド両国の王妃となった人物です。1303年に結ばれたこの結婚は、当時すでに3年にわたりポーランド王位に就いていたヴァーツラフ2世にとって、大ポーランド(ヴィエルコポルスカ)およびポーランド王位に対する請求権を大きく強化するものとなりました。
しかし、夫婦の絆はごく短いものでした。病に伏していたボヘミア兼ポーランド王ヴァーツラフ2世は1305年に死去し、リクサは莫大な寡婦財産を手にして独り残されました。翌1306年には、新たにボヘミアの支配者となったハプスブルク家のルドルフ3世と再婚します。ところがルドルフもまもなく世を去り、リクサはわずか19歳にして二度の未亡人となったのです。
ルクセンブルク家への抵抗とヘンリク・フォン・リパとの関係
その後の数年間、リクサ・エリザベタは、ボヘミア貴族の反対派指導者の一人であるヘンリク・フォン・リパ(インジフ・フォン・リパ)と結びつくことで、ルクセンブルク家の支配に対して公然と異を唱えるようになりました。ヘンリクは彼女にとって政治面でも私生活においても重要なパートナーでしたが、身分の違いや王朝上の事情により、二人が正式に結婚することはついにありませんでした。
1329年にヘンリクが死去すると、リクサは世俗を離れて修道院に入り、その後はドイツ各地の修道院を巡る巡礼の旅へ出ました。彼女は1335年、47歳でこの世を去りました。