歴史上の人物

ルイ7世(若年王)とは?フランス王の生涯・十字軍・離婚騒動を解説

ルイ7世(若年王)とは?フランス王の生涯・十字軍・離婚騒動を解説

ルイ7世(Louis VII le Jeune、1120年 – 1180年)は、カペー朝のフランス王であり、1137年の父ルイ6世(肥満王)の死後、王位を継承しました。母はサヴォワ家出身のアデライードです。彼は「若年王(ル・ジューヌ)」とも呼ばれ、37年以上にわたって王国を統治しました。

即位とシュジェール修道院長による補佐

即位の直前、ルイ7世はアキテーヌ公国の女相続人アリエノール(エレオノール・ダキテーヌ)と結婚し、広大なアキテーヌ領を王家のもたらすことに成功しました。統治にあたっては、父の時代から仕えた優秀な顧問官——サン=ドニ修道院長シュジェール——の補佐を受け、王権の強化に努めました。

国内政策では、有力な封臣(ヴァッサル)たちの勢力を削ぐことを目指し、農村共同体に対して特許状(特権の譲与)を積極的に発行しました。これにより「自治体運動(コムーン運動)」を促進し、都市や農村の自治勢力を通じて王権の基盤を固めようとしたのです。

第2回十字軍と王妃アリエノールとの決裂

敬虔な信仰心で知られたルイ7世は、クレルヴォーのベルナルドゥス(聖ベルナール)が呼びかけた新たな十字軍——第2回十字軍(1147年 – 1149年)——に応じて自ら遠征に参加しました。しかし、この遠征は軍事的にも政治的にも失敗に終わりました。

さらに深刻だったのは、この遠征の間に王と王妃アリエノールの仲が悪化したことです。両者の不和は1152年の離婚という形で結実し、王国にとって壊滅的な結果をもたらすことになりました。

プランタジネット朝との対立

離婚直後のアリエノールは、ほどなくしてイングランド王ヘンリー2世(プランタジネット家)と再婚します。ヘンリー2世は1154年にイングランド王位に就くと、アリエノールが持ち込んだアキテーヌを含む広大な領土を支配下に置き、フランス王の威信を大きく脅かす存在となりました。

この強大な敵対者を正面から弱体化させることができなかったルイ7世は、別の手段を選びます。カンタベリー大司教トマス・ベケットを支持し、さらにヘンリー2世の反乱を起こした息子たち(若王ヘンリーやリチャードら)を援助することで、プランタジネット朝への対抗を図ったのです。

晩年とフィリップ2世への道

外交面では、フランドル伯やシャンパーニュ伯との関係を深めました。特にシャンパーニュ伯の娘アデルを3番目の妃として迎え、この結婚によって生まれたのが、後に「尊厳王」と称されるフィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)です。

1180年に死去したルイ7世は、在位中こそ目立つ軍事的成功には恵まれませんでしたが、王権の制度的基盤を整え、息子フィリップ2世がフランスをヨーロッパ有数の強国へと押し上げる道を開いた王として評価されています。