ネロとは
ネロ(Nero、紀元37年12月15日 – 紀元68年6月9日)は、紀元54年に義父クラウディウスの死去を受けて帝位に就いた古代ローマの皇帝です。クラウディウスの4番目の妻である小アグリッピナと、グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスの間に生まれ、哲学者セネカ(小セネカ)の薫陶を受けたことでも知られています。即位当初、ネロは元老院や執政官へ権限を返還するなど、理想的な統治者としての姿勢を見せました。
母アグリッピナとの対立
即位初期のネロは、母アグリッピナの影響を強く受けていました。しかしこれに異を唱えたのが、家庭教師でもあったセネカと近衛隊長官アフラニウス・ブルスです。やがて母子の関係は、国政をめぐる意見の相違や、ネロの愛人アクテとの仲などをきっかけに急速に悪化していきます。
アグリッピナが「自分なら権力を息子から奪い、クラウディウスの実子ブリタンニクスに譲ることもできる」と公言すると、彼女は宮殿から追放されることとなりました。ネロ自身もまた、妻オクタウィア(ブリタンニクスの姉妹)との婚姻関係にあったため、この動きは深刻な政治的脅威でした。そして紀元55年、ネロはブリタンニクスの毒殺を黙認します。
母の暗殺とその後
紀元59年、ネロはセネカとブルスの同意を得たうえで、母アグリッピナの殺害を命じました。公式には「皇帝ネロが陰謀から救われた」という説明がなされたと伝えられています。
ポッパエア・サビナとの結婚
次にネロの寵愛を受けたのはポッパエア・サビナでした。彼女の夫であるマルクス・サルウィウス・オトは、ルシタニア属州総督へと左遷され、事実上遠ざけられます。紀元62年、ネロは正妃オクタウィアと離婚してサビナと再婚しました。追放されたオクタウィアは姦通罪で訴えられ、ついには殺害されています。
しかしその運命は残酷なものでした。紀元65年、ネロは妊娠中だったサビナを殴打し、彼女はそれがもとで命を落としたのです。
ローマ大火とキリスト教徒迫害
紀元64年7月19日から28日にかけて、大規模な火災が発生し、ローマ市街の大部分が灰燼に帰しました(ローマ大火)。当時アンティウムに滞在していたネロは、救援活動を指揮するために現地へ向かったと記録されています。しかし世間では「皇帝自身が放火を命じたのだ」という噂が広まり、その犯人として仕立て上げられたのがキリスト教徒たちでした。多くの信者が皇帝の円形競技場で処刑され、無念にも命を落としています。
失脚と最期
紀元68年、ガリア・ルグドゥネンシス属州総督ガイウス・ユリウス・ウィンデックスがネロ打倒の反乱を起こします。これに呼応したのがヒスパニア総督ガルバであり、元老院はガルバを新たな皇帝として承認しました。
「公敵(public enemy)」と宣言されたネロは、逃げ場を失い、紀元68年6月9日に自ら命を絶ちました。その際に残したとされる言葉――「なんという芸術家が自分とともに死んでゆくのか(Qualis artifex pereo)」――は、後世にまで語り継がれています。こうしてユリウス=クラウディウス朝最後の皇帝の波乱に満ちた人生は幕を閉じたのです。