歴史上の人物

ローマ皇帝コモドゥス(161-192)――帝国を衰退へ導いた「剣闘士皇帝」の生涯

コモドゥス(在位180年~192年)

ローマ皇帝コモドゥス(161-192)――帝国を衰退へ導いた「剣闘士皇帝」の生涯

コモドゥスは、西暦180年に即位した古代ローマの皇帝です。161年8月31日、哲学者皇帝として名高いマルクス・アウレリウスと皇后ファウスティナの子として生まれました。父は早くから息子への権力継承を進め、176年から177年にかけて、コモドゥスは護民官・共同統治者・執政官・最高神祇官という要職を次々と与えられました。

即位と放縦の日々

180年3月17日、マルクス・アウレリウスは現在のウィーン近郊にあたるウィンドボナ(ウィンドボニウム)の軍営で、疫病のため遠征中に死去しました。こうしてコモドゥスは帝位を継ぎますが、彼は父の遺言に反して、マルコマンニ族やクアディ族から奪った征服地を放棄し、ドナウ川沿いの戦線を撤収させてしまいました。

新皇帝は当初、自ら統治に携わることを嫌い、遊興と放縦の日々に耽っていました。この間、国家の実務は近衛隊長官ペレンニスが取り仕切っていました。

陰謀と恐怖政治

182年、コモドゥス暗殺の陰謀が発覚します。首謀者の一人には、皇帝の妃の地位を妬んだとされる姉のルキラが含まれていました。また、妃クリスピナも後に殺害されていますが、ルキラの陰謀とは無関係だったため、その正確な理由は明らかになっていません。

ある刺客が短剣で襲撃しようとした際、「これは元老院からの贈り物だ!」と叫んだことが、皇帝の強迫観念に火をつけました。これ以降、コモドゥスは元老院議員たちに対する数多くの裁判や、自殺の強要といった恐怖政治を行うようになります。さらに国内では、ペレンニスの後任となったクレアンデルの時代に汚職が蔓延しました。

ヘラクレスを自称した狂気

かつてのカリグラのように、コモドゥスは正気を失ったかのような振る舞いを見せるようになりました。自分を英雄ヘラクレスの化身であると信じ込み、数多くの彫像にその姿で描くよう命じたほか、自ら円形闘技場(コロッセオ)の剣闘競技にも参加しました。ついには首都ローマの名称まで「コモディアナ植民市(Colonia Commodiana)」と改めさせたほどです。

最期――192年の大晦日

あまりの狂気ぶりに、周囲は彼を排除することを決意します。192年12月31日から193年1月1日にかけての夜、コモドゥスは暗殺されました。計画には愛人のマルキアや、当時の近衛隊長官アエミリウス・ラエトゥスが関わっていたといわれています。まず毒殺が試みられましたが失敗に終わり、最後は屈強な格闘家ナルキッソスが皇帝を絞殺して事を遂げました。

コモドゥスの死後、帝位はペルティナクスが継承しました。しかし、五賢帝時代に築かれた安定はすでに崩れ去っており、ローマは内乱の時代へと突入していくのです。