
カルロマン2世とは
カルロマン2世(Carloman II、866年 - 884年)は、西フランク王ルイ2世(吃音王)とその妃アンスガルドの次男として生まれました。カロリング朝に属する彼は、わずか18歳でこの世を去るものの、ノルマン人の侵入や王国内の分裂といった激動の時代において、兄ルイ3世とともに王国の防衛と統治を担った人物として知られています。
父の死と共同統治の開始(879年)
879年、父ルイ2世が死去すると、カルロマンは兄ルイ3世とともにフランク王国の王位を継承し、共同統治を開始しました。兄弟による領土分割では、カルロマンがブルゴーニュとアキテーヌを受け継ぐこととなりました。
ノルマン人との戦いとボソ討伐
即位後まもなく、カルロマンは兄ルイ3世の軍勢と合流し、ガリア地方へ侵攻してきたノルマン人(ヴァイキング)への対抗に努めました。また、プロヴァンス地方で自立を宣言したボソ(ヴィエンヌ伯)に対しても軍事行動を行い、王国の権威を守ろうとしました。
単独王としての治世(882年〜)
882年、兄ルイ3世が早世すると、カルロマン2世は西フランク王国唯一の王として認められました。しかし、その治世は決して平穏なものではありませんでした。ロートリンゲン王ロタール2世の庶子である「私生児」ユーグが父の王国の継承を主張して争いを起こしたため、カルロマンはこれにも対応を迫られました。
デーン金(貢納金)の支払いと突然の死
884年、疲弊した王国に休息をもたらすため、カルロマンはアミアンのノルマン人に貢納金を支払うことで数か月間の平穏を買い取ることを決断しました。これは当時のカロリング朝の君主たちがしばしば用いた現実的な政策でした。
しかし同年、カルロマン2世は乗馬中の事故により落馬し、その傷がもとでこの世を去りました。18歳という若さでの死でした。彼には後継者がいなかったため、王位は東フランク王カール3世(肥満王)が継承することとなり、西フランク王国は一時的に帝国再統合の時代を迎えることになります。
系譜上の位置づけ
カルロマン2世の前王は父ルイ2世(吃音王)、後継者はカール3世(肥満王)です。短期間の治世ながら、兄との共同統治から単独統治まで、9世紀後半の西フランク王国の混乱期を象徴する存在といえるでしょう。