シャルル・マーテルとは
シャルル・マーテル(Charles Martel、685年頃 – 741年)は、フランク王国の宮宰(マイヨール・ドゥ・パレ)として実権を握った人物です。「ハンマーのように打ち砕く者」を意味するあだ名で知られ、後の中世ヨーロッパの基盤を築いた重要な指導者の一人とされています。彼はピピン2世(ピピン・ド・エルスタル)の息子として生まれました。
継承権をめぐる闘い
714年に父が死去すると、シャルルは父から与えられた継承権を取り戻すため、継母プレクトルードと対立せざるを得なくなりました。しかし彼は抜け目ない政治的手腕を発揮し、アウストラシアの宮宰に選出されることに成功します。
王国の再統一
その後、シャルルはネウストリア人やアキテーヌ人を打ち破り、パリを攻略。さらに東方の諸民族を撃退することで、分裂していたフランク王国を再統一しました。ただし、彼自身は王位を簒奪することなく、メロヴィング朝の王たちの名において統治を行いました。この姿勢は、形式的な王権と実際の権力が分離するという、後のカロリング朝への移行を準備するものとなりました。
トゥール・ポワティエ間の戦い(732年)
732年、アキテーヌ公ウードはイベリア半島から侵攻してきたサラセン人(イスラム勢力)を食い止めるため、シャルルに援軍を求めました。ポワティエ近郊で行われたこの戦いでシャルルは勝利を収め、その威信は一気に高まりました。この功績により、彼は「信仰とキリスト教の擁護者」と称されるようになりました。
死と遺産
741年に死去したシャルルは、王国を二人の息子――カールマンと小ピピン(後のピピン3世)――に分割して譲りました。この相続こそが、やがてメロヴィング朝に代わるカロリング朝の成立、そして孫カール大帝によるフランク帝国の繁栄へとつながっていくのです。