
ウード1世とは
ウード1世(860年頃 – 898年)は、ロベール豪公(ロベール・ル・フォール)の息子であり、カロリング朝に対抗する勢力として台頭したロベール家の一門に属していました。
パリ包囲戦での英雄的活躍
886年、ノルマン人(ヴァイキング)によるパリ包囲戦において、ウードは際立った勇猛さを発揮し、都市防衛の中心人物として名声を確立しました。しかし、当時の西フランク王にして西方皇帝でもあった「肥満王」シャルル3世は、援軍の派遣になかなか動こうとしませんでした。この対応への不満が高まり、シャルル3世はついに887年に廃位されることとなります。
フランク王への選出
翌888年、ウードはフランク人全体の支持を受けて新たなフランク王に選出されました。カロリング家以外の人物が王位に就いた、歴史的な転換点でした。一方、正当な王位継承者と目されていたシャルル3世(後の「単純王」)は、ウードの治世全期間を通じて王位奪回を目指して戦い続けることになります。
ノルマン人との戦い
888年、ウードはモンフォコーンの戦いでノルマン人に決定的な勝利を収めました。しかしその後は軍事的な余力を失い、敵の撤退と引き換えに金銭を支払うことを余儀なくされました。これは、当時のフランク王国が直面していた防衛上の限界を示す出来事でした。
カロリング家との対立と後継協定
治世を通じて、ウードはカロリング家支持派との対立に悩まされました。しかし897年、カロリング家の後継者であるシャルル3世がウードに服従すると、ウードは逆に彼を自らの後継者と認める協定に署名しました。こうして898年にウードが死去すると、約束どおりシャルル3世が王位を継承しました。
王位継承の流れ
肥満王シャルル3世(–887年)→ ウード1世(888年–898年)→ 単純王シャルル3世(898年–)
ウード1世の治世は、ロベール家が後に西フランク(フランス)の王位につく足掛かりとなった重要な時代でした。彼の死後もロベール家の勢力は衰えず、最終的に987年にユーグ・カペーが王位に就き、カペー朝が開かれることになります。