歴史上の人物

フランソワ・ジョゼフ・ポール・ド・グラース伯爵(1722年~1788年)

フランソワ・ジョゼフ・ポール・ド・グラース伯爵(1722年~1788年)

フランソワ・ジョゼフ・ポール・ド・グラース伯爵(François Joseph Paul, Comte de Grasse、1722年~1788年)は、フランス王国の海軍軍人であり、アメリカ独立戦争期におけるフランス艦隊の指揮官として知られています。

アメリカ独立戦争への参戦

1779年、グラースは艦隊司令官(ウイング・コマンダー)に任じられ、西インド諸島方面で活動するフランス海軍の指揮を執りました。当時、フランスはアメリカ植民地の独立運動を支援しており、彼の艦隊はその海上作戦の中核を担うことになりました。

ヨークタウンの勝利への決定的な貢献

1781年、グラース率いるフランス艦隊はチェサピーク湾の制海権を確保するためイギリス艦隊と交戦しました。この海戦(チェサピーク湾の海戦)で勝利を収めたことで、湾内のコーンウォリス将軍率いるイギリス軍は海からの救援と退路を断たれることになります。この結果、陸上では米仏連合軍による包囲攻撃が成功し、同年10月のヨークタウンにおける決定的な勝利へとつながりました。

この輝かしい功績により、グラースは中将( Lieutenant Général des Armées Navales )に昇進し、一躍フランス海軍の英雄として名を馳せました。

セインツの海戦での敗北と晩年

しかし、その栄光は長く続きませんでした。1782年4月、ドミニカ島近海で行われたセインツ諸島沖の海戦において、グラース艦隊はジョージ・ブリッジズ・ロドニー提督率いるイギリス艦隊に壊滅的な打撃を受けました。旗艦「ヴィル・ド・パリ」も拿捕され、グラース自身は敗北の責任を負い、捕虜としてイギリスへ送られました。

釈放後に帰国した彼は、この敗戦によって軍事的な評価を大きく損ない、1788年1月11日にパリで生涯を閉じました。ヨークタウンでの勝利という歴史的偉業と、セインツでの屈辱的な敗北――その両方を経験したグラースの生涯は、大航海時代末期の海戦史を語るうえで欠かせない存在となっています。