
ローラン・グーヴィオン=サン=シール侯爵(1764年4月13日トゥール生まれ-1830年3月17日イエール没)は、フランス革命戦争からナポレオン戦争、そして復古王政期に至る激動の時代を生き抜いたフランスの軍人・元帥である。堅実な防御戦術を得意とした名将として知られ、晩年には国家の軍制改革にも大きな足跡を残した。
革命戦争での頭角
サン=シールはフランス革命期の戦役で頭角を現した。ライン方面軍ではオッシュ将軍の後を受けて指揮を執り、その後イタリア戦線でもマッセナ将軍に代わって部隊を率いるなど、前線の要職を歴任した。慎重ながらも確実な指揮ぶりが高く評価され、共和国軍きっての有能な指揮官としての名声を確立していった。
帝政期の活躍とスペイン派遣
1801年には、駐スペイン大使を務めていたリュシアン・ボナパルト(ナポレオンの弟)のもとへ派遣され、外交交渉を軍事的な側面から支えた。彼は優れた戦術家であり、とりわけ防御戦において卓越した才能を発揮したことで知られている。1812年8月には、ポロツクの戦いでの功績により帝国元帥に列せられた。
百日天下とブルボン家への忠誠
しかし1815年の「百日天下」の際、エルバ島から帰還したナポレオンへの忠誠を拒み、ブルボン家の側についた。この決断によって、ナポレオン失脚後の復古王政の下でも引き続き重用されることとなった。
軍政改革と「サン=シール法」
王政復古後、サン=シールは海軍植民地大臣および陸軍大臣を歴任した。陸軍大臣として軍隊の再編成を見事に成し遂げ、1818年に公布された徴兵法は彼の名を冠して「サン=シール法」と呼ばれるほどの業績を残した。この法律は抽選による兵員募集の仕組みを導入し、復古王政期におけるフランス軍の基礎を築いたのである。