歴史上の人物

ユーグ大公(897年〜956年):カペー朝の真の創設者

ユーグ大公(Hugues le Grand、897年頃 – 956年)は、ヴェルマンドワ家出身のベアトリスと西フランク王ロベール1世との間に生まれたフランク貴族です。カロリング朝とロベール家の勢力争いが激化した10世紀前半の西フランク王国において、彼は最も強力な実力者の一人として君臨しました。

ルイ4世の擁立と「フランク公」の称号

936年、国王ラウールが死去すると、ユーグはイングランドへ亡命を余儀なくされていた単純王シャルル3世の息子ルイ4世(「海を越えて来た者」を意味する「ドゥートルメール」と称される)を王国へ迎え入れ、王位に就けました。これに報いてルイ4世は、ユーグに王家に次ぐ最高位の称号である「フランク公」を与えました。これによりユーグは、王国で最も有力な諸侯の地位を確立することになります。

王権との対立

しかし、カロリング朝の権威回復と王権の自立を目指すルイ4世との関係は、次第に悪化していきます。ユーグはヴェルマンドワ伯エルベール2世やノルマンディー公ギヨーム1世(長剣公)と同盟を結び、ランス近郊での戦闘においてルイ4世を撃破しました。さらに945年には、ノルマン人に捕らえられたルイ4世がユーグの手に引き渡されています。この一件は、ユーグが王権を事実上支配できる立場にあったことを如実に示すものでした。

「キングメーカー」としての歴史的評価

ルイ4世の死後、ユーグは幼い国王ロテールの後見人として摂政的な役割を担いました。自らが王位に就くことはありませんでしたが、度重なる王の擁立に関与したことから、「キングメーカー(王造り)」の異名で呼ばれます。そして息子ユーグ・カペーが987年に王位に就いてカペー朝を開いたことから、ユーグ大公はカペー朝の真の創設者と評されることも少なくありません。

主な家族関係

父:西フランク王ロベール1世
母:ヴェルマンドワのベアトリス
子:カペー朝初代王ユーグ・カペー