歴史上の人物

オーストリアのアン――スペイン王女からフランス摂政へ

ハプスブルク家出身のスペイン国王フェリペ3世の娘として生まれたオーストリアのアンは、15歳を迎える前にフランス国王ルイ13世と結婚しました。しかし、結婚後長年にわたって子宝に恵まれず、夫婦の関係は次第に冷え込んでいきました。

陰謀の疑いと政治からの遠ざかり

アンは実兄であるスペイン国王フェリペ4世との文通を続け、さらに王権に対抗する勢力とも親交を深めていました。このことが原因で陰謀への関与を疑われ、政治的な意思決定の場から遠ざけられることになります。彼女は国王に近い存在であったリシュリュー枢機卿を標的とした「シャレーの陰謀」にも加担したとされています。

「神から授けられた」王太子の誕生

1638年、結婚から23年の時を経て、ついに待望の子どもが誕生します。ルイ・デュドネ(神より授かりし子)、すなわち後の「太陽王」ルイ14世でした。

摂政としての統治

1643年5月14日にルイ13世が死去すると、アンは亡き王が遺した取り決めに反する形で、同年5月18日に摂政へと就任しました。彼女は宰相マザランの支持を得て、幼い王の教育に携わりながら、ともに国政を率いていきます。その治期には、王権の強化に反発して起きた反乱「フロンドの乱」との対決や、スペインとの戦争など、数々の試練に直面しました。

信仰に寄った晩年

1651年、息子が親政を行える年齢に達すると、アンは全権をルイ14世へと譲り渡します。その後は宗教的な生活へと身を退き、1666年、ルイ14世の誕生を記念して建立されたヴァル・ド・グラース修道院において、その生涯を閉じました。

プロフィール

  • 在世:1601年~1666年
  • 身分:フランス王妃
  • 役職:摂政