テンプル騎士団最後の総長、ジャック・ド・モレー

ジャック・ド・モレー(Jacques de Molay、1243年頃~1314年)は、中世ヨーロッパで最も強力な騎士修道会とされたテンプル騎士団の最後の総長です。彼は政治家というより、あくまで一介の軍人としての性格が強い人物でした。そしてこの資質の欠如こそが、騎士団の崩壊に大きく影響することになります。
富を誇示しすぎたテンプル騎士団
当時のテンプル騎士団は、その莫大な富を無遠慮に誇示していました。しかし一方で、聖地エルサレムを守りきれなかった責任を問われ、「聖地防衛にはすでに力が及ばないほど衰退した」と陰口を叩かれる立場にもあったのです。この矛盾は、騎士団への不信感を周囲に植え付ける結果となりました。
パリへの本部移転とフランス王の野望
1306年、教皇クレメンス5世は、テンプル騎士団を教皇直属の軍事組織へ再編することを構想し、その本部をパリへ移転するよう求めました。しかしこの決定は、運命を左右する誤算となりました。
当時のフランス王フィリップ4世(端麗王)は、居城であるルーヴル宮からテンプル城塞の主塔を直接見渡すことができました。王は騎士団の巨額の財産に強い関心を抱いており、ここから密かにその没落への準備を進めていたのです。
逮捕、処刑、そして有名な「呪い」
1307年10月13日、金曜日。フィリップ4世の命令により、ジャック・ド・モレーをはじめとするフランス国内のテンプル騎士団員は一斉に逮捕され、異端の容疑をかけられました。数年に及ぶ尋問と裁判の末、モレーは1314年に火刑に処されます。
伝説によれば、処刑台の上でモレーはカペー王家と教皇に対して恐るべき呪いを叫んだとされています。この呪いの逸話は、モーリス・ドリュオンの歴史小説『呪われた王たち(Les Rois maudits)』によって広く知られるようになりました。実際、フィリップ4世をはじめカペー朝直系の王たちは、その後わずか14年で相次いで死去し、王朝は断絶へと向かうことになります。
こうしてジャック・ド・モレーは、中世最大級の謎と伝説を残す悲劇的な人物として、今日まで語り継がれているのです。