オルレアンのジャン・バスタールとは

オルレアンのジャン・バスタール(ジャン・ド・デュノワ、1402年~1468年)は、オルレアン公ルイの庶子として生まれたフランスの武将です。「オルレアンの庶子(バスタール・ドルレアン)」の通称で知られ、百年戦争後期におけるフランス軍を代表する指揮官の一人となりました。
王太子と共に過ごした少年時代
庶子として生まれた彼は、幼い頃から未来の国王シャルル7世の側で育てられ、約10年間を共に過ごしました。この経験が、生涯にわたる王家への忠誠心の基盤となります。成長すると王太子および摂政の侍従(シャンベラン)を務め、やがて重要な役割を担うことになります。
オルレアン防衛の総指揮官として
当時のオルレアン公シャルルはイングランド軍の捕虜となっており、ジャンはフランス領内に残る家門唯一の男子の代表者として、叔父に代わる副将(リウトナン・ジェネラル)に任命されました。1428年に始まったオルレアン包囲戦では、同市の防衛を託された彼が守備軍を指揮し、翌1429年4月末に包囲網を突破して到着したジャンヌ・ダルクを出迎えた人物こそ、他ならぬこのジャンでした。
その後も彼は「乙女(ジャンヌ・ダルク)」と行動を共にし、パテーの戦いでの決定的な勝利、ランスでのシャルル7世の戴冠式、そしてパリ攻撃まで、一連の戦いに参加しています。
二つの王朝に仕えた忠臣
ジャンは最後までシャルル7世、そしてその後継者ルイ11世に対して絶対的な忠誠を貫きました。軍隊を率いての華々しい戦功により数々の名誉に包まれ、国王からは「祖国の復興者(ルストワラトゥール・ド・ラ・パトリ)」という称号を贈られています。1439年にはデュノワ伯領を授かり、この地名が彼の名を後世に不朽のものとしました。
百年戦争の終幕へ
1450年、ジャンはリッシュモン元帥やクレルモン伯と共にフォルミニーの戦いで勝利を収め、ノルマンディー奪回に大きく貢献します。続いて戦線はギュイエンヌ(南西フランス)へと移り、ボルドー攻略など英領残存地域の制圧を進めました。そして1453年のカスティヨンの戦いをもって、百年戦争はついにその幕を閉じたのです。
庶子の身ながら実力と忠義によって歴史に名を刻んだジャン・ド・デュノワは、1468年にパリで生涯を終え、シュノンソー近郊のシャトーダンの城内礼拝堂に眠っています。