歴史上の人物

ルイ12世(1462年〜1515年):「人民の父」と呼ばれたフランス王の生涯

ルイ12世(1462年〜1515年):「人民の父」と呼ばれたフランス王の生涯

ルイ12世とはどのような王だったのか

ルイ12世(1462年6月27日 - 1515年1月1日)は、ヴァロワ=オルレアン家出身のフランス国王(在位:1498年 - 1515年)です。詩人としても名高いシャルル・ドルレアンと、クレーヴ公女マリー・ド・クレーヴの息子として生まれました。治世において減税や司法改革を進めたことから、後世には「人民の父」と称えられることもあります。

若き日々:強制された政略結婚

幼少期にルイ11世の庇護のもとで教育を受けたルイは、その娘ジャンヌ・ド・フランスとの結婚を強いられました。この政略的な結婚は、後に彼自身の手によって無効とされることになります。

狂気戦争と3年の投獄生活

シャルル8世が幼少のまま即位すると、国政は王姉アンヌ・ド・ボージューによる摂政政治が主导することになりました。当時オルレアン公だったルイはこの体制に強く反発し、貴族たちの反乱勢力の中心人物となります。しかし、「狂気戦争」と呼ばれるこの対立で敗北したルイは、要塞に3年間も幽閉されるという苦難を経験しました。

王位への即位とアンヌ・ド・ブルターニュとの再婚

釈放後、ルイはシャルル8世と和解し、第一次イタリア戦争に共に参戦します。そして1498年、シャルル8世が嗣子のないまま急逝すると、オルレアン公ルイはフランス王として即位しました。

即位後まもなく、ルイ12世はジャンヌ・ド・フランスとの婚姻を無効にし、先代の未亡人であるアンヌ・ド・ブルターニュと再婚します。この結婚により、独立色の強かったブルターニュ公国をフランス王国へ統合する道が大きく開かれました。

イタリア戦争での栄光と挫折

ルイ12世はミラノ公国の征服に成功し、一時はイタリア政策の大きな成果を上げました。しかしその後、フランス軍は敗北を重ね、イタリアにおける領土主張を断念せざるを得なくなります。再び戦端を開いた彼はラヴェンナの戦いで勝利を収めますが、最終的には占領地を再び失う結果となりました。

晩年と死

1515年1月1日、ルイ12世は死去しました。男子の相続人がいなかったため、従兄にあたるフランソワ1世が王位を継承し、フランスはルネサンス期の新たな時代へと歩み出すことになります。

前王: シャルル8世
在位: 1498年 - 1515年
次王: フランソワ1世