ムニエ・ジャン・ジョゼフ(1758年~1806年)

フランス革命初期の中心人物
ジャン・ジョゼフ・ムニエ(Jean-Joseph Mounier、1758年11月12日~1806年1月28日)は、フランス革命初期に活躍した法律家・政治家です。グルノーブル出身で、1788年にはドーフィネ地方の身分要求運動に関わり、翌1789年には同地方の第三身分の代議士として三部会に選出されました。
同年6月20日、国王によって議場の使用を拒まれた代議士たちが隣接する室内球技場(テニスコート)に集まった際、ムニエは「憲法が制定されるまで決して解散しない」という誓いを提案し、その採択を実現させました。これが歴史に名高い「テニスコートの誓い」であり、絶対王政に対する抵抗の象徴として、フランス革命の重要な転換点となりました。
憲法制定議会での影響力と王政派の指導者
ムニエは憲法制定議会において非常に大きな影響力を持ち、一時は議長も務め、憲法草案の基礎となる審議にも深く関与しました。彼はイギリス型の議会制君主制(立憲君主制)を支持する「王政派(モナルキアン)」の指導者として、二院制議会や強力な行政権を備えた安定した体制の構築を目指しました。
しかし、革命が急進化するにつれ、彼の穏健な構想は次第に受け入れられなくなります。バスティーユ襲撃後の混乱や十月事件(ヴェルサイユ行進)といった事態の展開に失望したムニエは、1790年に議会を去り、スイスへの亡命を選びました。亡命中は、革命の暴走を批判する著作を多数発表しています。
晩年
亡命生活は1801年まで続きました。ナポレオンの執政府成立後に帰国を許されると、以後は行政職務に携わりましたが、かつてのような政治的表舞台に立つことはありませんでした。ムニエは1806年1月28日、パリで生涯を閉じました。