歴史上の人物

ピエール・コーション(1371年–1442年)― ジャンヌ・ダルク裁判を主導したボーヴェ司教

ピエール・コーションとは

ピエール・コーション(Pierre Cauchon、1371年–1442年)は、フランス中世末期における著名な神学者・政治家であり、ジャンヌ・ダルクの裁判を主導した人物として広く知られています。当時ヨーロッパ最高峰の学問の殿堂であったパリ大学に学び、芸術修士号、教会法免許状、さらに神学博士号を取得した、学識豊かな人物でした。

学者および官僚としての経歴

コーションは1409年にボーヴェの参事会員(カノン)となり、その後パリ大学の学長にも就任しました。1418年には高等法院(パルルマン)の請求審査官に任じられるなど、学問と実務の両面で着実にキャリアを積み重ねていきます。

ブルゴーニュ派の一員として

彼はガリカニスム(フランス教会主義)を掲げる改革派の有力メンバーであり、ブルゴーニュ公党に属して活発に活動しました。コンスタンツ公会議では、ブルゴーニュ公「無怖公」ジャン(ジャン・サン・プール)の弁護者を務めたこともあります。

ボーヴェ司教就任とジャンヌ・ダルク裁判

1420年、イングランド王ヘンリー5世およびブルゴーニュ公の推薦により、コーションはボーヴェ司教に任命されました。ジャンヌ・ダルクがコンピエーニュで捕らえられた際、彼女はコーションの管轄する教区へ引き渡されたため、彼はこの裁判の中心的な推進役となりました。親イングランド・親ブルゴーニュ派の立場から、ジャンヌに対する宗教裁判を強力に主導したのです。

晩年

その後、ボーヴェがフランス側に奪還されると、コーションはリジュー司教へと転任しました(1432年)。そして1442年、リジューにおいてその生涯を閉じています。