ポニャトフスキー公ヨゼフ=アントワーヌ(Józef Antoni Poniatowski、1763年 - 1813年)は、ポーランド最後の国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキーの甥にあたる貴族・軍人です。当時のポーランドはオーストリア、プロイセン、ロシアの三国によって分割され、国家としての独立を失っていました。
ポーランド軍の再建
1806年、ナポレオンがイエナおよびアウエルシュタットの戦いでプロイセン軍を壊滅させると、ポニャトフスキーはその勢いに乗じてポーランド軍の再建に着手しました。彼は祖国の失われた領土の回復を目指して戦い、1807年のフリートラントの戦いにも参加しています。
ナポレオンへの揺るぎない忠誠
ポニャトフスキーは生涯を通じてナポレオンに忠実であり続けました。1812年のロシア遠征にも従軍し、1813年にはドレスデンの戦いでその武勇を示しました。
元帥への昇進と悲劇的な最期
1813年10月、ライプツィヒの戦い(諸国民の戦い)において、彼はフランス元帥に任命されます。外国人がこの栄誉に浴することは極めて異例であり、ナポレオンの彼への信頼の厚さを物語っています。さらに撤退戦では殿軍(後衛部隊)の指揮を託されましたが、10月19日、エルスター川を渡河しようとした際に落馬し、溺死して果てました。享年50歳でした。
叶わなかった王位の夢
ナポレオンは、もしポニャトフスキーが生き延びていれば、喜んで彼をポーランド王に据えたいと考えていたと伝えられています。祖国の独立という夢を追い続けた彼は、今日でもポーランドにおける国民的英雄として深く敬愛されています。