
ロベール2世(ロベール・ル・ピュー)は、フランス・カペー朝の初代国王ユーグ・カペーの息子として生まれました。「敬虔王」という異名で知られる彼は、三度の結婚、王領の拡大、そして数々の奇跡的伝説によって、中世フランス史において特別な存在となっています。
三度の結婚
ロベール2世は生涯に三度結婚しました。最初の妻はロザンヌで、わずか16歳で彼女と結ばれましたが、この結婚は失敗に終わっています。
次に恋に落ちたのがブルゴーニュ家出身のベルタでした。しかし、近親婚にあたるとして教会から強い反発を受け、婚姻は無効とされ、さらに二人の間に子どもも生まれませんでした。
その後、三番目の妻として迎えたのがプロヴァンスのコンスタンスです。
共同統治というカペー朝の戦略
ロベール2世は父ユーグ・カペーの存命中に早くから王位に就き、共同統治を行いました。自身が王となってからも同じ手法を採り、息子アンリ1世を王位に就けて統治の安定を図りました。この「生存中の後継者戴冠」は、初期カペー朝が王権を守るために用いた特徴的な政策でした。
王領の拡大とブルゴーニュ獲得
ロベール2世は王権の基盤強化にも力を注ぎました。特にブルゴーニュ公国については、12年に及ぶ長い要求と争いの末についにこれを手中に収め、王室直轄領を大きく広げることに成功しました。
「敬虔王」の称号の由来
ロベール2世には奇跡的な賜物があると信じられ、病人を癒す力を持つと言われるなど、人々から神聖な存在として崇められていました。こうした評判こそが、「敬虔王(ル・ピュー)」というニックネームの由来となったのです。