征服王ウィリアムの長子、ノルマンディーを継承
ロベール2世は、イングランドを征服したウィリアム1世(征服王ウィリアム)の長男として生まれました。父から受け継いだのは広大な領土ではなく、ノルマンディー公国そのものでした。しかし、この継承は独立をもたらす一方で、同時に無秩序と混乱の時代への入り口ともなりました。彼には統治の才に恵まれず、公国は次第に内紛と無政府状態へと陥っていきます。
兄弟との協定 ― 1091年の取り決め
1091年、ロベールは弟であるイングランド王ウィリアム2世(ウィリアム・ルーファス、赤毛王)と協定を結びました。その内容は、「兄弟のどちらかが先に死去した場合、生存するもう一方が自動的に相手の領土を継承する」というものでした。これは当時としては珍しい相互継承の合意であり、兄弟間の対立を一時的に緩和する役割を果たしました。
第一回十字軍への参加とエルサレム攻略
1096年、ロベールは第一回十字軍に参加することを決意します。十字軍参加のための資金を調達するため、一時的にノルマンディーの統治権を弟ウィリアム2世に抵当に入れたことはよく知られています。遠征において彼は勇敢な騎士として活躍し、1099年のエルサレム攻囲戦にも加わりました。こうして聖地エルサレムの占領という歴史的な偉業を成し遂げたのです。
帰還後の運命 ― 弟アンリとの対決
1100年、イングランド王ウィリアム2世が狩猟中の事故で命を落とします。十字軍からの帰還途上にあったロベールが王位を主張するより先に、末弟のアンリ(アンリ1世ボークレール)が即座にイングランド王位を奪取してしまいました。
帰還したロベールは、イングランドのみならずノルマンディーまで手に入れようとするアンリと対立せざるを得なくなります。兄弟による権力闘争は数年にわたり続き、ついに1106年、タンシュブレーの戦いで決着がつきました。ロベールは決定的な敗北を喫し、捕虜として囚われの身となったのです。
幽閉の晩年
敗戦後、ロベールは約28年もの間、弟アンリ1世によってイングランドのカーディフ城などに幽閉されました。かつて十字軍の英雄として名を馳せた彼は、1134年に獄中でその生涯を閉じました。栄光と挫折、そして兄弟との確執に彩られたその人生は、中世ヨーロッパにおける封建的継承争いの悲劇を象徴するものとして語り継がれています。