歴史上の人物

マクシミリアン・ド・ロベスピエール(1758年〜1794年)

マクシミリアン・ド・ロベスピエール(1758年〜1794年)

1781年に弁護士となったロベスピエールは、先進的な思想によって頭角を現し、アルトワ州の代表として三部会に選出されました。その後、ジャコバン・クラブに参加し、1792年の対外戦争に対しては、当時数少ない反対者の一人として強く異を唱えています。

国民公会とジロンド派の失脚

国民公会議員となると、ロベスピエールは山岳派の指導的立場に立ち、ジロンド派の失脚を主導しました。続いて公安委員会に加わると、事実上の中心人物として恐怖政治を確立していきます。

粛清と「最高存在の崇拝」

1794年3月から4月にかけて、過激なエベール派と、ダントン率いる穏健な寛容派を相次いで粛清しました。また、ルソーと同じく理神論者であった彼は「最高存在の崇拝」を創設しています。その清廉潔白な人格から、「清廉な人(アンコラプティブル)」というあだ名でも知られました。

テルミドールの反動と最期

1794年7月27日(共和暦2年テルミドール9日)、山岳派と平原派の穏健派による連合によって失脚し、まもなくギロチン刑に処されました。恐怖政治の終焉を象徴する出来事として、歴史に「テルミドールの反動」として刻まれています。

弟オーギュスタン・ロベスピエール

弟のオーギュスタンもまた国民公会議員であり、イタリア方面軍の軍務特使(代表)として活動しました。