
ロベール強王とは
ロベール強王(ロベール・ル・フォール、? - 866年)は、9世紀の西フランク王国で活躍した貴族です。ロベール家(後のカペー朝につながる家系)の出身で、トゥール伯としてその名を知られています。
853年、西フランク王シャルル2世(禿頭王)により、トゥールおよびアンジェ地方の「ミッスス・ドミニクス」(王権を代行して地方を巡視する使節)に任命されました。これは、王が広大な領土を直接統治できなかった時代において、極めて重要な役割でした。
セーヌ川からロワール川への統治者へ
855年にはシャルル2世に対する反乱に関与しましたが、その後は王側に戻り、セーヌ川とロワール川の間の地域を統括する公(ネウストリア辺境公)の地位を獲得します。この地域は当時、外敵の侵入に最も脅かされていた国境地帯でした。
以降、ロベールの最大の使命は、西方からのブルトン人の圧力と、北方から襲来するノルマン人(ヴァイキング)の略奪から王国を守ることにありました。彼は修道院長職も兼ねて経済的基盤を固めながら、防衛の最前線に立ち続けました。
ブリサルトの戦いでの最期
866年、ノルマン人とブルトン人の連合軍がロワール川流域に侵攻すると、ロベールは他の諸侯と共に迎え撃ちました。これがブリサルトの戦いです。フランク軍は当初優勢で敵を押し返しましたが、ロベールは追撃の際に兜を外したところを矢で撃たれ、落命してしまいました。
彼の死は王国にとって大きな損失でしたが、その遺志は子孫によって受け継がれていきます。
カペー朝の始祖へとつながる血筋
ロベール強王の子孫こそ、この人物の歴史的意義を物語っています。息子のウードは888年に西フランク王として即位し、もう一人の息子ロベール1世も922年に王位に就きました。
さらにロベール1世を通じて見ると、ロベール強王は987年にフランス王となったユーグ・カペーの曽祖父にあたります。つまり彼は、フランス歴代王朝の中で最も長く続いたカペー朝、そしてその分岐であるヴァロワ朝・ブルボン朝へと続く血統の始点となった人物なのです。