歴史上の人物

タリアン・ジャン=ランベール(1767-1820):フランス革命を駆け抜けた政治家の波乱の生涯

タリアン・ジャン=ランベール(1767-1820):フランス革命を駆け抜けた政治家の波乱の生涯

フランス革命期における台頭

ジャン=ランベール・タリアンは、1792年8月10日の王政打倒の蜂起において、蜂起コミューンの一員として重要な役割を果たしました。続く九月虐殺にも一端を担ったとされる過激な革命家です。

国民公会の議員に選出されると山岳派に属し、ジロンド派と鋭く対立しました。1793年、恐怖政治の最中には全权委員としてボルドーへ派遣され、現地で強硬な統制を行ったことで知られています。

テルミドールのクーデターと「テルミドールの聖母」

転機は、貴族出身の愛人が逮捕されたことでした。これを機にタリアンはロベスピエールと決別し、1794年のテルミドールのクーデターに参加して独裁体制の崩壊に決定的な一撃を加えます。

彼はこの混乱の中で愛人の解放に成功し、彼女は後に正式な妻となりました。タリアン夫人ことテレーズは、その絶世の美貌と豪華絢爛な装いで当時のパリ社交界の中心的存在となり、「テルミドールの聖母(ノートルダム・ド・テルミドール)」という異名で広く知られました。

栄光から忘却への晩年

一方、タリアン自身はテルミドール反動期において過酷な弾圧措置を主導したことでも歴史に名を残しています。その後は五百人会の議員を務め、さらにはナポレオン・ボナパルトに従ってエジプト遠征にも参加しました。

しかし帝政成立後、ナポレオンから年金こそ与えられたものの、政界での存在感は完全に失われます。かつて革命の表舞台で活躍したタリアンは、やがて世間から忘れ去られ、困窮のうちに静かに生涯を閉じたのでした。