歴史上の人物

フランソワ=ジョゼフ・ルフェーヴル(1755〜1820)―国王に忠誠を誓い、ナポレオンに仕えた「ダンツィヒ公」

フランソワ=ジョゼフ・ルフェーヴル(1755〜1820)―国王に忠誠を誓い、ナポレオンに仕えた「ダンツィヒ公」

革命前夜から帝国まで、波乱の人生を歩んだ老兵

フランソワ=ジョゼフ・ルフェーヴル(François-Joseph Lefebvre、1755年〜1820年)は、アルザス地方出身のフランス元帥です。もともとは粉屋の息子として生まれ、1773年に兵卒として軍隊に入隊しました。実務経験と人望によって着実に昇進を重ね、フランス革命期には将軍の地位にまで到達しています。

当初、ルフェーヴルは国王ルイ16世に忠誠を誓う人物であり、革命の混乱の中で王室家族の保護にも尽力しました。しかし時代が移り変わるにつれ、彼はナポレオン・ボナパルトにその忠誠を捧げることになります。

ブリュメール18日のクーデターとナポレオンへの忠誠

1799年のブリュメール18日のクーデターにおいて、ルフェーヴルは重要な役割を果たしました。元老院の議員としてナポレオンを支持し、権力掌握の成功に貢献したのです。この功績により、ナポレオンからの信頼を確固たるものとしました。

皇帝となったナポレオンは、ルフェーヴルを主に軍の後方支援や予備部隊の指揮官として起用しました。これは、歩兵戦術に関する豊富な経験と、何よりも部下を率いる優れた統率力を買ってのことでした。派手な活躍こそ少ないものの、堅実さと信頼性で軍の中核を支える存在だったのです。

「マダム・サン・ジェンヌ」の夫として

ルフェーヴルについて特筆すべき点として、彼が有名な「マダム・サン・ジェンヌ(遠慮知らずの奥様)」ことカトリーヌ・ヒュプシャーの夫であることが挙げられます。洗濯婦出身だった彼女は、その豪快で物怖じしない性格からこのあだ名で呼ばれ、宮廷の儀礼を無視して皇帝をも平気で言い負かすため、ナポレオンをしばしば大いに困惑させたといわれています。

イエナとダンツィヒでの戦功

それでもルフェーヴル自身は、軍人として確かな実績を残しています。1806年のイエナの戦いでは第1軍団を指揮して活躍し、翌1807年にはダンツィヒ(現グダニスク)包囲戦を担当。同要塞を降伏へと導き、この戦功により「ダンツィヒ公」の称号を授けられました。

ロシア撤退戦での奮闘

1812年のロシア遠征では、壊滅的な撤退戦の最中、モスクワ川後方で近衛部隊を率いたルフェーヴルは、疲弊し士気を失いかけていた将兵を鼓舞しました。老兵らしい威厳と落ち着きが、崩壊寸前の軍を支えたのです。

ナポレオン失脚後はブルボン家に帰順し、王政復古のもとで貴院議員に列せられました。1820年、パリにて64歳でその生涯を閉じています。