テオデバルドの生涯
テオデバルド(フランス語ではティボーとも呼ばれる)は、メロヴィング朝の王テウデベルト1世(テオデベルト1世)の息子として、534年頃に生まれました。父の死後、わずか13歳という幼さでアウストラシア王国の王位を継承しました。
病弱な少年王
テオデバルドは生まれつき病弱であったと伝えられており、一部の史料ではてんかんを患っていたとも言われています。そのため、実権は父の代から仕えた重臣たちが補佐する形で政治が運営されました。彼は父テウデベルト1世の政策をある程度引き継ぎ、バイエルン地方への影響力の維持など、東方領域における統治を続けました。
早すぎる死と王国の統一
在位わずか7年後の555年、テオデバルドは22歳という若さでこの世を去りました。男子の後継者がいなかったため、彼の死によってアウストラシア王国は断絶することとなります。
こうしてテオデバルドの王国は、クローヴィス1世の息子であり最後に存命していた王であるクロタール1世(クロタイール1世)の手に渡りました。これにより、分裂していたフランク王国は再びクロタール1世の下で統一され、メロヴィング朝の歴史における重要な転換点となりました。